弘文学院
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弘文学院(こうぶんがくいん)は、明治期の日本において、清国からの留学生のために嘉納治五郎が創立した教育機関である。旧名は亦楽書院、のち弘文を宏文に改め、宏文学院と称した。日本における組織的な「留学生に対する日本語教育」の嚆矢と言われる[1]。11年間で7000人以上が学び、約3800人が卒業した[2]。
- ^ a b 『日本語教育史研究序説』関正昭、スリーエーネットワーク, 1997、p85-87
- ^ a b c d 老松信一「嘉納治五郎の中国人留学生教育」『武道学研究』第8巻第2号、日本武道学会、1976年、27-28頁、doi:10.11214/budo1968.8.2_27、ISSN 0287-9700、NAID 130004574469。
- ^ a b c 藤井(2011年)52ページ
- ^ a b c d 増田光司「宏文学院編纂『日本語教科書』について」『東京医科歯科大学教養部研究紀要』第41巻、国立大学法人 東京医科歯科大学教養部、2011年、11-31頁、doi:10.11480/kyoyobukiyo.41.0_11、ISSN 0386-3492、NAID 110008448387。
- ^ 梁啓超の郷里の宏文社学から名づけた
- ^ 井上翠コトバンク
- ^ 東野十治郎人事興信録 第12版(昭和14年) 下
- ^ 西師意の中訳日本書(再考)舒志田 立教大学日本学研究所年報 19 70-52, 2020-10
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