弘文院とは? わかりやすく解説

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こうぶん‐いん〔‐ヰン〕【弘文院】

読み方:こうぶんいん

平安前期和気(わけ)氏の教育施設延暦年間782〜806)に、大学に学ぶ一族の子弟を勉学寄宿させるために設立


弘文院

読み方:コウブンイン(koubun’in)

平安初期私設学校


弘文院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/04 15:57 UTC 版)

弘文院(こうぶんいん)は、平安時代初期の平安京和気広世が建てたとされる施設。通説では和気氏大学別曹として機能したとされているが、異論もある(後述)。早い時期に断絶した。


  1. ^ 跡地とされる現在の京都市中京区御池千本東入北側には「弘文院址」の碑が建てられている[1]
  2. ^ 参考文献として用いた桃浩行の著では、卅町(30町)と解しているが、ここでは現在の『日本後紀』の最新の校訂本とされる訳注日本史料版の説(卌町(40町))を採る。
  3. ^ この「内外」の用例は、『続日本紀』の石上宅嗣の死去に関する記事内において引用している宅嗣が芸亭設置の経緯について記した文にも登場する。
  4. ^ 唐の国子監制度をモデルとして設置された日本の大学寮は、国子監を主導した唐の儒学者の排仏思想(9世紀韓愈による『論仏骨表』は著名)に従う形で制度上は仏教色を排除して儒教の学習に専念させていたため、仏教書はその方針の妨げとなる可能性があった(もっとも、遣唐使廃止後の国風文化台頭後には大学寮の教官・学生の間でも勧学会などの仏教行事が公然と行われるようになるのだが)。


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