帰雲城とは? わかりやすく解説

帰雲城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 02:54 UTC 版)

帰雲城(かえりくもじょう、かえりぐもじょう、きうんじょう)は、岐阜県大野郡白川村三方崩山の下、保木脇(ほきわき)にあった日本の城[1]内ヶ島氏の居城であったが、1586年天正13年)の天正地震による山崩れで城と城下町が全て埋没した[1]


注釈

  1. ^ この史料は「顕如上人貝塚御座所日記」という題名で紹介されることもある。「貝塚御座所日記」を含む宇野主水による記録の総称が『宇野主水日記』。「貝塚御座所」は顕如が拠点としていた貝塚御坊(願泉寺)を指しているが、天正13年8月末に顕如らは摂津中島(天満本願寺)へ移転しており、宇野主水も貝塚から中島(天満)に移動した。
  2. ^ 中略部分には京都の三十三間堂の仏像が600体あまり倒れたこと、宮中の内侍所が鳴動したため祈祷が行われていることなどが記されている。後略部分では近江・加賀・越前が大地震であったという総合情報と、これほどの地震は見聞きしたことがないという80歳あまりの老人の感想が記されている。

出典

  1. ^ a b c 安達正雄「白山大地震により埋没した「帰雲城」と「木舟城」「日本海域研究所報告」8号、1976年。 
  2. ^ a b 幻の帰雲城白川村役場、2012年9月28日
  3. ^ 白川郷近くにあった幻の城「帰雲城」朝日新聞、2014年12月10日[リンク切れ]
  4. ^ 「日の目見るか地下の幻城」『朝日新聞』昭和47年(1972年)7月11日夕刊、3版、8面
  5. ^ 野田秀佳:400年不明「幻の帰雲城」◇豊臣時代の岐阜県飛騨、地震で一夜にして埋没◇『日本経済新聞』朝刊2018年6月25日(文化面)2018年6月30日閲覧
  6. ^ 近藤瓶城編『改定史籍集覧 第二十五冊』(近藤出版部、1902年)pp.467-468。読点を補った。近代デジタルライブラリーより該当ページ(左端より次ページにかけて)
  7. ^ 森本一雄『定本 飛騨の城』郷土出版社、1987年9月15日、94頁。 


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