市川猿翁 (2代目)
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二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年〈昭和14年〉12月9日[1] - 2023年〈令和5年〉9月13日[2])は、歌舞伎役者、日本の俳優、演出家。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。俳名に華果(かか)がある。紫派藤間流二代目家元としては二代目 藤間 紫(にだいめ ふじま むらさき)を名乗る[3]。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)[1]。東京都出身[1]。
- ^ a b c d e 『読売年鑑2013』P.574|読売新聞東京本社,2013年3月27日発行,ISBN 978-4643130010
- ^ a b c d e f g “市川猿翁さん死去、83歳 歌舞伎俳優”. 時事ドットコム. 2023年9月15日閲覧。
- ^ 「焦点・日舞紫派藤間流の新体制始動」読売新聞
- ^ 月刊演劇界発行『最新歌舞伎俳優名鑑』「2006年2月特別増刊」p.160、同「2015年9月号特別付録」p.9による。
- ^ “23区の一部で進む、公立小の「階層化」の実情 | AERA dot.”. 東洋経済オンライン (2016年12月21日). 2021年11月27日閲覧。
- ^ “市川猿翁(5)中学・高校時代”. 日本経済新聞 (2014年2月5日). 2021年11月27日閲覧。
- ^ 千谷道雄『幸三郎三国志』(文藝春秋)P.29
- ^ ただし松緑は日本舞踊藤間流勘右衛門派の家元、四代目藤間勘右衛門でもあるため、猿之助に対して少なからず感情的にならざるを得なかったことは否めない。
- ^ 2018年1月11日中日新聞朝刊11面
- ^ スーパー歌舞伎は猿之助が倒れて以降、主に澤瀉屋の門弟筋(三代目市川右團次(初代市川右近)・二代目市川笑也・二代目市川春猿ら)によって継承されている。
- ^ 47NEWS / 共同ニュース「市川猿之助が急病で代役 脳梗塞の初期症状」(2003/11/18 4:12共同通信配信)(2013年1月16日閲覧)
- ^ NEWSポストセブン「香川照之と父・市川猿之助の三世代同居 すでに破綻していた」(2011年12月8日)(2013年1月16日閲覧)
- ^ a b “市川猿翁さんご逝去”. 歌舞伎美人. 松竹 (2023年9月16日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “吉例顔見世興行 南座”. 歌舞伎美人. 松竹 (2013年11月). 2023年9月16日閲覧。
- ^ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
- ^ 『官報』第1087号6頁 令和5年10月23日
- ^ a b c "故市川猿翁氏に従四位". KYODO NEWS. 共同通信社. 10 October 2023. 2023年10月10日閲覧。
- ^ 猿之助は、この時の真意を後に「生きるも死ぬも身一つで、僕はあえて一人でやってきました。だから、照之も役者の道を貫きたいと思うなら私の事を父と思うな、何ものにも耐えうる独立自尊の精神でいきなさいと。僕としてはごく当然のことを言ったつもりなのですよ」と述懐している。NHKスペシャル「父と子 市川猿翁・香川照之」(2013年1月6日放送)
- ^ デイリースポーツオンライン「香川照之 父・猿之助と45年ぶり和解 」(2011年9月28日)(2013年1月15日閲覧)
- ^ その後、香川の歌舞伎初舞台のリハーサル中に訪れた浜と猿翁が離婚以来ほぼ45年ぶりに言葉を交わす様子が報じられている。
- ^ 「香川照之歌舞伎界入り 背景に猿之助40代恋人の強大な影響力」(NEWS ポストセブン、2011年10月9日付)、および「香川照之と父・市川猿之助の三世代同居 すでに破綻していた」(同、2011年12月8日付)、2012年6月8日閲覧。
- ^ “安藤忠雄氏らに文化勲章 功労者は王貞治氏ら”. asahi.com (2010年10月26日). 2010年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月21日閲覧。
- ^ “2013年モンブラン国際文化賞、市川猿翁氏が受賞”. MODE PRESS. (2013年6月27日) 2022年8月9日閲覧。
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