宮騒動
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宮騒動(みやそうどう)は、鎌倉時代の寛元4年(1246年)閏4月以降に起きた、北条(名越)光時の反乱未遂および前将軍・藤原頼経(九条頼経)が鎌倉から追放された事件。年号を取って寛元の乱(かんげんのらん)、寛元の政変(かんげんのせいへん)ともいう。また、首謀者より名越の乱(なごえのらん)、名越の変(なごえのへん)とも呼ばれる[1]。
注釈
出典
- ^ 石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年、318・365頁。
- ^ a b 高橋慎一朗 『北条時頼』吉川弘文館〈人物叢書〉、2013年、53頁。
- ^ 石井清文『鎌倉幕府連署制の研究』岩田書院、2020年、320頁。
- ^ 井上幸治「九条道家-院政を布いた大殿-」平雅行 編 『公武権力の変容と仏教界』清文堂出版〈中世の人物 第三巻〉、2014年7月。ISBN 978-4-7924-0996-8
- ^ a b 鈴木かほる「寛元の政変・宝治合戦の通説への疑問-建長・弘長騒動までを見直す-」『鎌倉遺文研究』38号、2016年。
- ^ a b c d e f 曽我部愛「〈宮家〉成立の諸前提」『中世王家の政治と構造』(同成社、2021年) ISBN 978-4-88621-879-7)2021年、P.217-252.
- ^ 曽我部、2021年、P227-228.
- ^ 曽我部愛「鎌倉期王家の構造と変容」『中世王家の政治と構造』(同成社、2021年) ISBN 978-4-88621-879-7)2021年、P.183-216.(原論文:『ヒストリア』第277号、2019年)
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