宇土城
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宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市にあった日本の城。別名城山・鶴城ともいう。同市にあった中世期の宇土城である宇土古城についても併記する。
- ^ 城戸久「熊本城宇土櫓造営年次私考」(『建築学会論文集』第30号、1943年)
- ^ 昭和後期、三の丸跡における建設工事中、旧宇土城の石垣の一部とみられる巨石が発見されたが、それらの中に線刻の施されたものが存在していた。調査の結果、古墳時代の装飾古墳の石材の一部であることが判明し、現在は宇土市民図書館の裏庭へ移設展示してある。
- ^ この銅像は宇土市制移行20周年を記念して建立されたが、「清正公さんの敵をなんで建てるんだ」という苦情が寄せられたことから、破壊されることを危惧して数年の間は囲いをして人目に触れないようにしてあったという市職員の証言がある。
- ^ 中井均・三浦正幸監修『よみがえる日本の城 12 熊本城』(学習研究社、2005年)
- ^ 表示された遺構の中に、古墳時代前期の豪族居館がある。中世期における築城の結果大半が削平されており、周溝の底部付近だけが検出されたにすぎないが、当時の大陸で神聖視されていたというガマガエルを意匠とした独特な形状をなしており、熊本県下における唯一の発見事例となっている。
- ^ 千畳敷と三城の間の迫地部分に展示してある石塔部材も、このときの調査により出土したものである。
- ^ 一箇所だけ、矢穴を穿つ前の印だけが施されたものがある。地山から巨岩が露出しているように見え、印を施してはみたものの、実際にはさしたる大きさではなかったことが判明したので矢穴を穿つには至らなかったのであろうが、石材を割り取るまでの工程が垣間見えるようで興味深い事例である。
- ^ 宇土市史編纂委員会『新宇土市史 通史編第二巻』(宇土市、 2007年)
- ^ 阿蘇品保夫[宇土城開城に関する新出史料―(慶長五年)一〇月一三日付清正書状について―](『熊本史学』85・86号、2006年)
- ^ 石井正明・高田徹ほか執筆『秀吉の城と戦略』(成美堂出版、1998年)
- ^ 元禄年間ごろに書かれたとみられる「肥後国宇土軍記」は、関ヶ原合戦における宇土城周辺の戦況を描いたものだが、その文末において、宇土城の堅固さに内心感銘を受けた清正が、同城の天守を自身の居城たる(隈本)城内へ移築させて小天守と称したと記してあり、その小天守には、いったん建てた後に眺望が悪いので少しずらして建て直すよう国許へ命じた清正の指示書が残されていることから、熊本県内に広く喧伝されている「宇土櫓は宇土城から移築説」は、じっさいには宇土櫓ではなく小天守を指していた可能性がある。
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