大西政寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 19:58 UTC 版)
大西 政寛(おおにし まさひろ、1923年 - 1950年1月18日)は、日本のヤクザ。土岡組若頭。広島県呉市広小坪出身。「悪魔のキューピー」と呼ばれた。
- ^ 裕福な商店の息子として生まれたが、父はモルヒネ中毒で早逝、母は追い出され、祖母のもとで甘やかされて育てられ必然的に悪ガンボー(悪ガキ)として育つ。
- ^ 小学校では絵ばかり描いていた。独特の色彩感覚で彩られた極彩色の絵は、毎年のように絵画コンクールで入賞・優勝を続けたがついに読み書きを覚えず高等小学校へと進み、そこで先生から「お前はペンキ屋にでもなるんじゃろうが、ペンキ屋は字も書かにゃならん」と冷やかされ大西は激怒した。
- ^ 16歳の時、広の食堂でビールを飲んでいたのを海軍軍人に咎められた大西は刺身包丁で軍人の腹を刺し、そのうえで片耳を斬り落としてしまう。この事件で大西の名声は高まり、着物の似合う彼が呉の街中を闊歩してもだれも歯向かわなかった。
- ^ 中国大陸の戦線で大西は捕虜の首を何人も斬った話が残っている。
- ^ 久保健一は3位で当選を果たした、小原馨の兄貴分であった桑原秀夫も阿賀から立候補し、最下位から2番目の39位で当選している。久保も桑原も土岡組の勢いに転身を余儀なくされたのである。
- ^ 密告したのは山村辰雄だというのが定説になっている。大西の実母が山村を恐喝し、莫大な金を手にしている。
[続きの解説]
- 大西政寛のページへのリンク