大友氏の食客として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 06:30 UTC 版)
大内氏の一族だが、父の高弘が謀反を起こして大友氏の下へ亡命していたため、豊後国で生まれた。大友氏のもとで寄食していたが、貧しい暮らしをし、幼いころは知るものも少なかった。 天文23年(1554年)2月から永禄8年(1565年)5月の間、大友義鎮の推挙と資金援助により将軍・足利義輝から偏諱を賜い、輝弘と名乗る。 改名後も豊後にとどまり大友の客将となっていた。
※この「大友氏の食客として」の解説は、「大内輝弘」の解説の一部です。
「大友氏の食客として」を含む「大内輝弘」の記事については、「大内輝弘」の概要を参照ください。
- 大友氏の食客としてのページへのリンク