夏姫をめぐる異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 05:04 UTC 版)
『国語』は、楚が陳の夏徴舒を滅ぼした後、楚の荘王は夏姫を申公巫臣に妻として与えようとしたといい、『春秋左氏伝』と異なる経緯を記している。 清華簡『繋年』には、夏姫は「少[孔皿]」という呼称で現れている。これによると、彼女は夏徴舒の母ではなく、妻であるとされる。楚の荘王が陳に侵攻したさいに、申公屈巫(巫臣)が秦から援軍を得た功績に報いるため、少[孔皿]は屈巫に与えられるはずであったが、連尹襄老がこれを争い奪ってしまった。襄老が河灉で捕虜となると、襄老の子の黒要が彼女を妻とした。黒要が死去すると、司馬子反と屈巫が彼女を争ったが、結局屈巫が彼女を妻としてしまったという。
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