古ブラウンシュヴァイク家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:17 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家」の記事における「古ブラウンシュヴァイク家」の解説
オットー1世の長男アルブレヒト1世はブラウンシュヴァイクを相続し、曾孫のマグヌス2世はヴィルヘルム2世の死で相続人がいなくなったリューネブルク侯領も相続した。しかし、ヴィルヘルム2世の外孫でアスカーニエン家出身のアルブレヒト3世及び叔父のザクセン選帝侯ヴェンツェルとリューネブルク継承戦争を引き起こし、1373年に敗死した。 長男のフリードリヒ1世は戦争を終結させリューネブルクを手に入れ、ルクセンブルク家出身のローマ王ヴェンツェルの対立王に選出されるも1400年に暗殺された。公国はフリードリヒ1世の弟であるハインリヒ1世がリューネブルクを、ベルンハルト1世がブラウンシュヴァイクをそれぞれ分割相続したが、後に侯領を相互交換した。
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