原胤栄
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原 胤栄(はら たねひで/たねよし、天文20年(1551年) - 天正17年12月5日(1590年1月10日)または天正18年6月6日(1590年7月7日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。千葉氏重臣・下総原氏宗家。なお、没日については2つの伝承がある。通説では原胤貞の嫡男とされているが、近年では庶子説・養子(胤貞の弟)説も出されている[1]。子には原胤義がいる。別名・十郎。官途名は式部大輔。
- ^ 黒田基樹は庶子説を採り、高橋健一は養子の可能性も考慮すべきと主張している。 佐藤博信「下総臼井・小弓城主原胤栄に関する覚書」(千葉城郭研究会 編『城郭と中世の東国』(高志書院、2005年 ISBN 4862150063)載録)より
- ^ 黒田基樹は胤親を原胤隆(胤栄の曾祖父)以前に分かれた庶流の人物とする説を提示している(黒田基樹『戦国期関東動乱と大名・国衆』戎光祥出版、2020年 ISBN 978-4-86403-366-4 P110-112.「手賀原氏」)。
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