千羽ヶ嶽兵右エ門
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千羽ヶ嶽 兵右エ門(ちばがたけ ひょうえもん、1840年(天保11年) - 1868年6月13日(慶応4年閏4月23日))は、阿波国勝浦郡(現在の徳島県勝浦郡)出身で玉垣部屋に所属した力士[1]。本名は朝桐 衑助(あさぎり れいすけ)。身長185cm・体重116kgと江戸時代の力士にしては大柄だった。最高位は西前頭2枚目。また弓取を務めた事でも知られる。大正時代に活躍した東雲衑藏(元東小結)は甥に当たる。
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