千原繁子
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千原 繁子(ちはら しげこ、1898年〈明治31年〉9月17日 - 1990年〈平成2年〉5月25日)は、日本の医師。沖縄県出身者で初の女医[1][3]。終戦後の沖縄の女性たちの生活苦による不条理妊娠など、悲惨な事態に立ち会い、また民法改正運動や母子保健など、広い範囲にわたって活動を行った[4]。
- ^ a b c 日外アソシエーツ 2004, p. 1624
- ^ 琉球新報社 1996, p. 9
- ^ 沖縄から医学へ進んだ女性としては杏フクが千原繁子より先だが、杏フクは他県出身であり、学校を卒業後も沖縄へ戻らなかった[2]。
- ^ a b c d e 外間米子「「てぃるるフェスタ 99」シンポ 千原繁子周り愛す人生の達人」『琉球新報』琉球新報社、1999年7月29日、夕刊、5面。
- ^ a b 琉球新報社 1996, pp. 98–99
- ^ 沖縄タイムス社 1980, p. 213
- ^ a b 沖縄タイムス社 1980, pp. 214–215
- ^ 日本教職員組合 & 沖縄教職員会 1968, pp. 92–93
- ^ a b 日本教職員組合 & 沖縄教職員会 1968, pp. 94–95
- ^ 日本教職員組合 & 沖縄教職員会 1968, pp. 96–97
- ^ a b c d e f g h 沖縄県 1996, pp. 68–69
- ^ a b c d e f g h i j 琉球新報社 1996, p. 97
- ^ a b c 琉球新報社 1996, pp. 100–101
- ^ 沖縄県 1996, p. 91
- ^ 琉球新報社 1996, p. 102
- ^ a b c d 「てぃるるフェスタ 自由にたくましく 20世紀を生きた那覇おんな 新垣美登子、金城芳子、千原繁子 聴衆550人、生きるヒントつかむ」『琉球新報』、1999年7月25日、朝刊、29面。
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