円真寺とは? わかりやすく解説

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円真寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/25 04:58 UTC 版)

円真寺(えんしんじ)は、神奈川県川崎市幸区にある日蓮宗寺院。山号は蓮忠山。院号は円経院。通師・雑司ヶ谷法縁に属する。


注釈

  1. ^ 『新編武蔵風土記稿』には以下の様に記されている[1]

    (南河原村)円真寺
    村の東にあり。日蓮宗にて安房国小湊誕生寺の末、蓮忠山円経院と号す。開山は詳ならずされど天正十八年北条家没落の時、かの家人斉藤大学助久義といへるもの、此年四月十九日小田原城にて氏直の為に討死せしを、当寺に於て追善せしよし過去帳に載たれば、古き世よりの寺なるべし。其後慶長年中蒲田嘉左衛門といへるもの中興開基して今の寺号とせり。是までは円経院とのみいひしとぞ嘉左衛門が法号を蓮忠と呼で寛永七年二月二日死せり。よりて山号とす。今其子孫村民にあり。其時の住職は自證院日飴とよびて元和三年四月十九日寂す。本尊三寶祖師長一尺五寸なるを安せり。客殿六間半に七間南の方に向ふ。 鐘楼。門の左にあり。天明六年の銘文あり。考證によしなければ略せり。

  2. ^ 19世日門筆の円真寺什大過去帳の奥付において天正年間に「齋藤大学之助久義(温台院殿善法神儀)等北条氏直の為討死せる者の為の追善防営せり」と記されている。
  3. ^ 円眞寺大過去帳奥付(19世日門筆)によると、堂宇に祀っていた板本尊(曽存)の裏書きに「堂守として円住坊日饒(詔公の弟子)に登記して詔公を招請せんと、願人 蒲田所左衛門忠義に此砌忠義にも本尊授与之有り」と記されていたとある。
  4. ^ 寛永7年に蒲田所左衛門逝去の後、その妻妙蓮が法華経一千部読誦を行った功績により所左衛門の法号「真珠院殿蓮忠大居士」より、蓮忠を山号として授与をされた。
  5. ^ 19世日門筆の大過去帳において貞亨5年小湊誕生寺日映聖人より小湊末円眞寺日胤に授与す、という書面が曽て存在し、その経緯について①寛永年間に池上本門寺日樹が伊那流罪になった折に第2世日饒が理由有り小湊誕生寺の支えを願い出たという江戸時代の口伝。②元禄時代、8世日胤は碑文谷法華寺日附の法眷で有ると同時に小湊誕生寺日映の弟子であったため、旧来からの小湊誕生寺末寺の様に客殿に棟札を認め安置をし職事を全うした、という江戸時代の口伝が存在することが述べられている。元禄元年の7世日性の遷化後に日胤(元禄2年より住職)は公命を得る為に俄に小湊日映に願い古来の末であるように活動したと推察をしつつ、8世日胤の代より小湊末寺に代々属していると日門は当大過去帳で述べている。
  6. ^ 西南戦争で戦死した小向村齋藤常吉氏を讃える墓碑銘。鶴見の石工である飯島吉六による彫刻。
  7. ^ 日詔開山寺院としては 辻常住寺川崎本瑞寺鎌倉常栄寺が挙げられる。また、中興寺院としては松葉谷安国寺が。『本化別頭仏祖統記』には中興寺院として大峰法性寺が挙げられている。
  8. ^ 円眞寺大過去帳(19世日門筆)によると、貞亨5年小湊誕生寺日映聖人より小湊末円眞寺日胤に授与す、という書面が曽て存在していたとある。

出典

  1. ^ 新編武蔵風土記稿 南河原村 圓眞寺.
  2. ^ 西村慈珖 編 編『『日蓮宗大鑑』』日蓮宗大観刊行会、大正七年(1918年)。 


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