八島陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 07:16 UTC 版)
八島陵(やしまのみささぎ、やしまりょう)は、奈良県奈良市八島町にある早良親王の陵。八嶋陵とも記され、また親王が崇道天皇と追尊されたことより、崇道天皇陵とも呼ばれる。文久年間に治定された[1]。
- ^ 約545m
- ^ 約436m
- ^ 約109m
- ^ 約69m
- ^ 八島町内に伝わる史料『大和国添上郡八嶋陵 八嶋明神八ッ石明神原因記』によると、早良親王薨去後、大伴朝臣友彦の夢に親王が現れたという。感激した友彦が淡路を訪ね墓所を三拝したところ、親王が現れ東方に9つの石を投げ、その留まるところに陵墓を遷せと告げられた。東国を尋ねたところ石の1つは大和国二見付近、残りは大和国古市付近に留まった。友彦がこのことを奏上したところ、勅使として参議五百枝と友彦が淡路に遣わされ、御赦文が読み上げられた。友彦が親王の遺骨を負い大和に戻り、延暦17年(798年)戊寅3月、八ッ石の地に御陵を築いて納め奉ったという。
- ^ 奈良県立図書情報館行政資料
- ^ 奈良盆地歴史地理データベースで確認する限り、近代までは伝わらなかった字名のようである。
- ^ 八島郷の範囲は、興隆寺・鉢伏・鹿野園・古市・安場・虚空蔵・高樋・山村・窪ノ庄・池田・今市・南永井・北永井・出屋敷・神殿・八島・横井・藤原・田中の19村。
- ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典 29 奈良県、p.1113
- ^ a b 奈良市史 考古編 p.193
- ^ a b 奈良市史 考古編 p.195
- ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典 29 奈良県、p.1112
- ^ a b c 奈良町風土記 続編 pp.68-69
- ^ a b 大和国添上郡八嶋陵 八嶋明神八ッ石明神原因記
- ^ 奈良市史 考古編 p.196
- ^ 八島町資料集
- ^ 続日本紀
- ^ 奈良市史 考古編 p.194
- ^ a b 類聚国史
- ^ 日本後紀
- ^ a b 小さき社の列島史、p.124
- ^ a b c d e f 奈良市史 社寺編 p.545
- ^ a b c 奈良市史 社寺編 p.546
- ^ a b 奈良市史 社寺編 p.532
- ^ 奈良市史 社寺編 p.533
- ^ 奈良市史 社寺編 p.545-546
- ^ 山陵廻之日記
- ^ 帝王編年記
- ^ 扶桑略記 延暦25年11月条
- ^ 元亨釈書 延暦25年条
- ^ 大和志
- ^ 日本後紀 弘仁5年8月辛酉の条
- ^ 元亨釈書
- ^ 大和志料
- ^ a b c d e f g 奈良市史 社寺編 p.511
- ^ a b c d 奈良市史 社寺編 p.512
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