伊勢岩手藩とは? わかりやすく解説

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伊勢岩手藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 06:33 UTC 版)

伊勢岩手藩(いせいわではん)は、豊臣政権下で伊勢国度会郡の岩出城(岩手城[注釈 1]。現在の三重県度会郡玉城町岩出)を居城とした大名領国を「」と捉えた呼称[注釈 2]。1590年に牧村利貞が城主となり、その没後は実弟の稲葉道通が跡を継いだ。稲葉道通は関ヶ原の戦いで東軍につき、戦後に加増を受けて伊勢田丸城に移った(田丸藩)。


注釈

  1. ^ この地名は古くは「岩手」とも記したが[1][2]、紀州藩領となっていた享保11年(1726年)に藩命により「岩出」に統一されたという[2]
  2. ^ 豊臣政権下の大名領国を「藩」と見なすかについては書籍・事典によって判断が異なる。二木謙一監修・工藤寛正編『藩と城下町の事典』は「岩手藩」を項目として立てている[3]。『角川新版日本史辞典』では、慶長5年(1600年)以後の大名の配置・移動を示す「近世大名配置表」において「岩手」を藩名として掲げる[4]
  3. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  4. ^ 名は政治とも[9]
  5. ^ 出自については異説もある[11]

出典

  1. ^ いはて(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年2月17日閲覧。
  2. ^ a b 岩出村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c 『藩と城下町の事典』, p. 376.
  4. ^ 『角川新版日本史辞典』, p. 1315.
  5. ^ 『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』, p. 3.
  6. ^ a b 『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』, p. 4.
  7. ^ a b c d e f 田丸城跡”. 2024年2月19日閲覧。
  8. ^ a b 三重県玉城町”. 余湖くんのホームページ. 2024年2月19日閲覧。
  9. ^ a b c d e 牧村政治”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年2月16日閲覧。
  10. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.183
  11. ^ 埼玉県立久喜図書館(回答). “牧村俊貞(マキムラトシサダ)について、次の2つのことを知りたい。…”. レファレンス協同データベース. 2024年2月17日閲覧。
  12. ^ a b c d e 第11回企画展 牧村兵部利貞”. ハートピア安八 歴史民俗資料館. 安八町. 2024年2月11日閲覧。
  13. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百七「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.184
  14. ^ a b 稲葉道通”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年2月16日閲覧。
  15. ^ 『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』, p. 6.


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