人種的差別撤廃提案
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人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん、旧字体:人種的󠄁差別撤廢提案、英語: Racial Equality Proposal)とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、日本が主張した、「国際連盟規約」中に人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。この提案に当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンは反対の立場で、事が重要なだけに全員一致で無ければ可決されないとして否決した。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
注釈
出典
- ^ 永田幸久 2003, pp. 194.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 201.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 201–202.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 193–194.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 197.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 204.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 204–205.
- ^ a b 永田幸久 2003, pp. 205.
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- ^ 永田幸久 2003, pp. 200.
- ^ 『近代日本の転機 明治大正編』鳥海靖編、吉川弘文館、2007年、254、255頁。
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- ^ a b 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 510–511.
- ^ 牧野伸顕「回顧録」
- ^ レジナルド カーニー「20世紀の日本人―アメリカ黒人の日本人観 1900‐1945」五月書房1995
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 68.
- ^ 永田幸久 2003, pp. 207.
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- ^ 永田幸久 2003, pp. 208.
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- ^ 『近代日本の転機 明治大正編』鳥海靖編、吉川弘文館、2007年、258頁。
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- ^ a b c 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 498–499.
- ^ p219 憲政の政治学
- ^ 外務省記録「人種差別撤廃」、『日本外交文書』大正7年第三冊および大正8年第三冊上巻
- ^ a b c 永田幸久 2003, pp. 212.
- ^ p144 国家と人種偏見
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 69.
- ^ 巴里講和会議ニ於ケル人種差別撤廃問題一件 1919, pp. 508.
- ^ 鹿島守之助『日本外交史12』鹿島研究所出版会(1971年)187頁の記述でも同様。(八丁由比 2011, pp. 19)
- ^ 永田幸久 2003, pp. 213–214.
- ^ Macmillan, Margaret Paris 1919: Six Months That Changed the World, New York: Random House, 2007 page 317-487
- ^ 篠原初枝 2010, pp. 71.
- ^ 河合敦 (2023-3-16). “真説!日本史傑物伝”. アサヒ芸能: 78-79.
- ^ 寺崎英成 & マリコ・テラサキ・ミラー 1995, pp. 24–25
- ^ 河辺一郎『国連と日本』岩波書店、1994年1月20日。
- ^ 永田幸久 2003, pp. 220.
- ^ p147 国家と人種偏見
- ^ a b c d p151-152 国家と人種偏見
- 1 人種的差別撤廃提案とは
- 2 人種的差別撤廃提案の概要
- 3 二回目の提案
- 4 投票の内訳
- 5 人種暴動
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