乾正聰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 00:42 UTC 版)
乾 正聰(いぬい まさあき)は、江戸時代中期の土佐藩馬廻役で、家格は知行300石。土佐の奇人(いごっそう)。板垣退助の曾祖父。
- ^ 『板垣退助君傳記』では誤って乾信武の逸話として集録されている。
- ^ 原文では「当時、勤倹力行の令出ありて、士格の駕(かご)を用ゆるを禁ぜらる」とある。
- ^ 「信武の娘の婚礼の時」とする話もあるが年代が会わないので今は通説に従う。
- ^ 『板垣退助君傳記』では誤って「杉」とされている
- ^ 原文は「老松の繁柯(はんか)、その視界を遮りて、爲めに眺望を縦(ほしいまま)にすることあたわず、家老乃(すなわ)ち使を乾氏に寄せて懇(ねんご)ろに請ふて其の枝を拂はん事を欲す」とある。
- ^ 原文は「近頃老職楼閣を築きて、其志を空しうす。何卒前日の厚旨に順ふに替へて、枉(ま)げてその楼閣を毀(こぼち)たれ給へ」とある。
- ^ 『土佐の墓(2)』山本泰三著、土佐史談会、1987年(昭和62年)、137頁
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