中曽根康隆
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中曽根 康隆 (なかそね やすたか、1982年〈昭和57年〉1月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。
注釈
- ^ 父・弘文からは立候補の決断を尊重すると述べられたことを会見で明らかにした[10]。
- ^ 10月9日、自民党本部は比例代表の公認候補を発表した[20][21]。中曽根の比例北関東ブロックでの名簿順位は30位であると公表された[20][21]。
- ^ この会合には40個の康隆後援会の幹部役員計100名、群馬県議9名、武田良太総務大臣(二階派)などが出席した[己 2]。
- ^ 康隆は今後も個別の後援会を増やしていく方針を示した[27]。2021年1月22日の上毛新聞では、同新聞の取材に対して康隆が「後援会の数は40を超えた」と述べたことが伝えられた[29]。2021年衆院選の公示日直前の時点で、後援会数は50以上となっていた[30]。
- ^ 2019年11月に康隆とその妻が康弘の入院先を訪れて曾孫を身籠っていること伝えると2人に笑顔を見せた[46][己 3]。康弘は康隆の双子の長男・長女が生まれる前に死去したため曾孫の顔を見ることは叶わなかった[46][己 3]。
- ^ 衆議院選挙が中選挙区制度から小選挙区比例代表並立制に移行する際に、康弘は当時の橋本龍太郎自民党総裁から比例北関東ブロックの名簿順位「終身単独1位」を約束された[49]。しかし、小泉純一郎は総理のときにこの約束を反故にし、康弘を政界引退に追い込んだ[49]。
- ^ 山本一太は2016年にもブログで同様の主張を繰り返した[62]。
- ^ 親子が同じ都道府県で同時期に国政の議席を獲得していた例として、旧群馬3区の中曽根康弘と群馬県選挙区の中曽根弘文、旧山口1区の林義郎と山口県選挙区の林芳正、神奈川17区の河野洋平と神奈川15区の河野太郎などが存在する[49]。
- ^ かつて尾身朝子の父・尾身幸次が所属しており、現在は尾身朝子が所属している派閥。
- ^ 日本経済新聞の記者は、「候補者同士の健全な競争は『党全体の足腰を鍛え直す』」として党員獲得状況を公認の判断材料とする取り組みを好意的に評価した(2021年5月7日の日本経済新聞夕刊掲載)[66]。
- ^ 2021年4月21日は衆議院議員任期満了日のちょうど半年前に相当する。
出典
- ^ a b c d e “プロフィール”. “エピソード”. 中曽根康隆公式ウェブサイト. 2021年6月10日閲覧。
- ^ a b “連合後援会の発足式”. 中曽根康隆公式ブログ - アメーバブログ (2020年10月3日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ a b c d “中曽根家に新たに2人が加わりました。”. 中曽根康隆公式ブログ - アメーバブログ (2020年4月27日). 2021年5月22日閲覧。
- ^ “超党派パパママ議員連盟でご挨拶。”. 中曽根康隆公式ブログ - アメーバブログ (2021年3月10日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ “ご報告 | 中曽根康隆 衆議院議員 オフィシャルブログ「いま、未来への挑戦。」”. 中曽根康隆公式ブログ - アメーバブログ (2018年8月26日). 2021年5月22日閲覧。
[続きの解説]
「中曽根康隆」の続きの解説一覧
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- 2 中曽根康隆の概要
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