上甲米太郎
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上甲 米太郎(じょうこう よねたろう、1902年(明治35年)4月16日[1] - 1987年(昭和62年)3月21日[1])は、大正・昭和期の朝鮮における公立普通学校教員、社会活動家。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「年譜」 『植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師 上甲米太郎』大月書店、2010年。ISBN 978-4-272-54047-1。
- ^ a b c d “今週の一言「朝鮮人と共に歩んだ、上甲米太郎の生き方に学ぶ」上甲まち子さん(俳優、上甲米太郎の長女)”. 法学館憲法研究所 (2019年4月9日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ a b c 上甲伊利一 (1997-1-23から1997-2-25まで). “上甲米太郎の生涯 息子からみた人間像”. 南海日日新聞
- ^ a b c d e 上甲まち子「父を語る」 『植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師 上甲米太郎』大月書店、2010年。ISBN 978-4-272-54047-1。
- ^ 上甲伊利一 (1996-12-10から1997-1-14). “川之内上甲の祖を求めて”. 南海日日新聞
- ^ 旗田巍「上甲先生の健在をよろこぶ──『在朝日本人教師の闘いの記録』を読んで──」『朝鮮研究』10月号、1966年。
- ^ ×××「朝鮮の一教員より」『新興教育』第3号、1930年、41-42頁。、NCID AN00362778
- ^ 「赤いチョーク欄」『新興教育』第2号、1930年、59-60頁。、NCID AN00362778
- ^ 官報 1933年6月27日 七七六頁
- ^ 官報 1933年6月28日 八一一頁
- ^ 友邦文庫録音資料T231「新藤著『在朝鮮日本人教師 活動の記録』について」
- ^ 横川輝雄. “上甲米太郎さんと「三井・三池への二重連行」のつながりは?”. 異風者からの通信. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “青年劇場俳優 上甲 まち子”. 青年劇場. 2019年12月7日閲覧。
- 1 上甲米太郎とは
- 2 上甲米太郎の概要
- 3 家族
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