七試特殊爆撃機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:30 UTC 版)
六試特爆に続き、空廠と中島は同じ主要メンバーによって、六試特爆の設計にエンジンの変更や逆スタッガー翼の使用取りやめなどの改良を加えた七試特爆の開発を行った。なお、本機は七試特殊爆撃機とも呼ばれる。 七試特爆は1932年11月に試作機1機が完成し、海軍によって審査されたが、同年11月26日に中島社内で急降下試験中に墜落事故を起こし、テストパイロットを務めていた藤巻恒男一等操縦士が殉職した。これによって審査は中止された。その後、さらなる研究の余地があるとされ、続く八試特種爆撃機の開発が開始されることになった。 なお、本機の墜落事故が六試特爆によるものとする誤った資料も存在する。
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