ルーダキー
ルーダキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 17:01 UTC 版)
ルーダキー(ペルシア語: ابوعبدالله جعفربن محمدبن حکیمبن عبدالرحمنبن آدم رودکی タジク語: Абӯабдуллоҳ Ҷафар Ибни Муҳаммад Рӯдакӣ、850年代初頭[1]/860年代-870年代[2] - 940年頃)は、サーマーン朝で活躍したペルシア語の詩人。本名はアブー・アブドゥラー・ジャアファル・ビン・ムハンマド(Abu Abdollah Jafar ibn Mohammad)であるが、出身地にちなんだ「ルーダキー」の号で呼ばれることが多い。ペルシア文学最初期の人物であり、「ペルシア詩の確立者」[3]「ペルシア文学の父」[4]「ペルシア詩人のアダム」[5]「詩人の帝王[6]」と評される。
- ^ 加藤『中央アジア歴史群像』、32-33頁
- ^ a b 黒柳『ペルシア文芸思潮』、17頁
- ^ a b 加藤『中央アジア歴史群像』、27頁
- ^ a b 佐々木「ルーダキー」『岩波イスラーム辞典』収録
- ^ 加藤『中央アジア歴史群像』、41頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、16頁
- ^ a b c 加藤『中央アジア歴史群像』、28頁
- ^ 黒柳『ペルシアの詩人たち』、25,29頁
- ^ 黒柳『ペルシアの詩人たち』、29頁
- ^ a b 蒲生「ルーダキー」『アジア歴史事典』9巻収録
- ^ 蒲生「ルーダキー」『アジア歴史事典』9巻収録 加藤『中央アジア歴史群像』、32-33頁
- ^ a b 黒柳『ペルシア文芸思潮』、19頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、17-19頁
- ^ 加藤『中央アジア歴史群像』、29-30頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、19-20頁
- ^ a b 加藤『中央アジア歴史群像』、33頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、21頁
- ^ 黒柳『ペルシアの詩人たち』、34頁
- ^ a b 黒柳『ペルシアの詩人たち』、44頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、21頁
- ^ 黒柳『ペルシア文芸思潮』、24-25頁
- ^ 加藤『中央アジア歴史群像』、38頁
- ^ 黒柳『ペルシアの詩人たち』、38頁
- ^ 加藤『中央アジア歴史群像』、31頁
- 1 ルーダキーとは
- 2 ルーダキーの概要
- 3 ギャラリー
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