ヘスペリア号事件とは? わかりやすく解説

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ヘスペリア号事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 08:41 UTC 版)

ヘスペリア号事件(ヘスペリアごうじけん、: Hesperia Zwischenfall)またはドイツ船検疫拒否事件(ドイツせんけんえききょひじけん)は、1879年明治12年)、ドイツ船ヘスペリア号が日本政府の定めた検疫停船仮規則の実施をめぐって起こった日本とドイツ帝国の紛争事件である。


注釈

  1. ^ コレラが日本で最初に発生した「文政コレラ」のときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭だったが、流行の晩期にはオランダの商人から「コレラ」という病名であることが伝えられた。それまでの疫病とは違う高い死亡率や激しい症状から「鉄砲」「見急」「三日コロリ」などとも呼ばれた。
  2. ^ 色川大吉によれば、死者は8,000人におよんだという。色川(1974)p.97
  3. ^ ドイツのロベルト・コッホによってコレラ菌がコレラの病原体として発見されたのは、1884年のことであった。それ以前は、石炭酸と信じられ、また、コレラよけのまじないとして門口にフグがはられることもあった。家永(1977)p.98
  4. ^ 色川大吉によれば全国の死者は10万5,700余名におよんだという。色川(1974)p.97
  5. ^ 政府は医療については軍艦1隻分の予算もさかなかった。お雇い外国人でドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは、1893年(明治26年)の日記に「せめて大切に飼われている馬ぐらいの程度にでも収容しておける病院の1つすらない」と記して、これを嘆いている。家永(1977)p.100および色川(1974)pp.102-103

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