フィラエ・オベリスクとは? わかりやすく解説

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フィラエ・オベリスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:12 UTC 版)

フィラエ・オベリスク(Philae obelisk)は、1815年に上エジプトフィラエ島で発見され、その直後にウィリアム・ジョン・バンクスが入手した2つのオベリスクのうちの1つである。エジプトヒエログリフ古代ギリシア語の2つの言語で碑文が書いてあり[1]、互いの文書の翻訳ではなかったが、これらを比較することで、バンクスはヒエログリフ文字での「プトレマイオス[要曖昧さ回避]」と「クレオパトラ」の名前を認識できたと信じた。彼の解読は、後にトマス・ヤングジャン=フランソワ・シャンポリオンによって確認され、シャンポリオンによる最終的なヒエログリフの解読に寄与した。この碑文には、フィラエにおけるエジプトの神官による要請と、プトレマイオス8世クレオパトラ2世3世からの肯定的な返事が記録されており、その日付は紀元前118年から紀元前117年であった。


  1. ^ The Greek inscription has been referred to by scholars as "OGI 137–139; SB 8396; Lenger, C. Ord. Ptol., 51 f.; A. Bern., 19".
  2. ^ FACT SHEET”. ESA (2014年11月8日). 2014年11月13日閲覧。


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