ビルゲ・ブカとは? わかりやすく解説

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ビルゲ・ブカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 01:32 UTC 版)

ビルゲ・ブカ(Bilge buqa、生没年不詳)は、天山ウイグル王国及びモンゴル帝国に仕えたウイグル人文官の一人。『元史』での漢字表記は仳理伽普華/ビルゲ・ブカ(pǐlǐgā pǔhuá)であるが、『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝などでは仳俚伽帖穆爾/ビルゲ・テムル(pǐlǐgā tièmùĕr)とも表記される。


  1. ^ もっとも、ビルゲ・ブカの一族がトニュククの子孫を称するのは、自らの家系をより古く遡らせる一種の「権威付け」であったとみなされている(中村2007,94頁)
  2. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「年百二十而終伝数世、至克直普爾襲為本国相答剌罕、錫号阿大都督。遼王授以太師・大丞相・総管内外蔵事。……七子。長曰逹林、次曰堊思弼、曰衢仙、曰博哥、曰博礼、曰合剌脱因、曰多和思。堊思弼二子、長曰仳俚伽帖穆爾、次曰岳璘帖穆爾」
  3. ^ 安部1950,8頁
  4. ^ a b 安部1950,9頁
  5. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「仳俚伽生而敏慧、年十六襲国相・答剌罕。時西契丹方強威、料高昌命太師僧少監、来囲其国、恣睢用権奢淫自奉。王患之謀於仳俚伽曰『計将安出』。仳俚伽対曰『能殺少監、挈吾衆帰大蒙古国、彼且震駭矣』。遂率衆囲少監、少監避兵于楼、升楼斬之擲首楼下」
  6. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「以功加号仳俚傑忽底、進授明別吉。妻号赫思迭林。子第以暾欲谷之後世、為其国大臣、号之曰設。又曰沙爾、猶漢言戚畹也」
  7. ^ 白/松井,2016,32-33頁
  8. ^ 松井2020,74頁
  9. ^ 『圭斎集』巻11高昌偰氏家伝,「未幾、左右有疾其功者、譖於王曰『少監珥珠、先王宝也。仳俚伽匿之』。盍急索勿失、王怒索珠宝甚急、仳俚伽度無以自明、乃亡附国朝我太祖皇帝。賜以金虎符・獅鈕銀印・金螭椅各一・衣金、直孫校尉四人飲食供帳殆擬王者、仍食二十三郡。尋賞銀五万両、以弟岳璘為質。仳俚伽歿、高昌諸部途哭、巷弔歳時祠之」
  10. ^ 劉2006,135-136頁
  11. ^ B.Ögel 1964 p.52


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