パウル・フォン・レットウ=フォルベックとは? わかりやすく解説

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パウル・フォン・レットウ=フォルベック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 01:00 UTC 版)

パウル・エミール・フォン・レットウ=フォルベックPaul Emil von Lettow-Vorbeck1870年3月20日 - 1964年3月9日)は、ドイツ陸軍軍人第一次世界大戦においてドイツ帝国植民地ドイツ領東アフリカ植民地防衛隊英語版ドイツ語版を指揮し、休戦まで戦いつづけた。


  1. ^ 総督の立場は、ヨーロッパの植民地保有国が海外の領土をヨーロッパの戦争から切り離し中立にしておくという1885年のコンゴ法に立脚していた
  2. ^ トム・フォン・プリンス(Tom von Prince)はスコットランド人の父とドイツ人の母を持ち、彼とレットウ=フォルベックはカッセル士官学校のクラスメイトだった。彼は最終的にドイツ領東アフリカに住みつき、第一次世界大戦が勃発すると大尉として現役勤務に呼び戻され、第13アスカリ中隊および第7・第8狙撃中隊(Schützenkompagnie、主にドイツ人入植者の子息で構成された。第8は騎乗部隊)の指揮を任された。フォン・プリンスはその英雄的行動から、ほどなくアスカリ達に「Bwana Sakarani」(乱暴者)と渾名をつけられた。
  3. ^ Hoyt, Guerilla, p. 28
  4. ^ Miller, Battle for the Bundu, p. 287
  5. ^ ドイツ帝国陸軍において少将は旅団を指揮する階級
  6. ^ Miller, p. 296
  7. ^ Hoyt, p. 214
  8. ^ The Evacuation of Kasama in 1918”. IV (5). The Northern Rhodesia Journal. pp. 440-442 (1961年). 2007年3月7日閲覧。
  9. ^ a b Gore-Browne, Sir Stewart (1954年). “The Chambeshi Memorial”. II (5). The Northern Rhodesia Journal. pp. 81-84. 2007年3月18日閲覧。
  10. ^ Haupt, Deutschlands Schutzgebiete in Übersee 1884-1918, p. 154
  11. ^ 休戦協定第17条は彼の「降伏」を要求しておらず、単に「東アフリカで作戦を行うドイツ軍の全撤退」とだけ書かれている [Farwell, p. 353]
  12. ^ a b Farwell, p. 357
  13. ^ Miller, p. 22
  14. ^ Miller, p. 41
  15. ^ Miller, p. 236
  16. ^ Hoyt, p. 119
  17. ^ Farwell, The Great War in Africa, p. 276
  18. ^ Louis, Great Britain and Germany’s Lost Colonies 1914-1919, p. 74
  19. ^ Miller, p. 291
  20. ^ Miller, p. 237
  21. ^ Ferguson, Empire, p. 253
  22. ^ Miller, p. 309
  23. ^ a b Farwell, p. 354
  24. ^ Miller, p. 329
  25. ^ 1914年から1920年にかけての連合国あるいは植民地政府の文献のほぼすべてはプロパガンダか、あるいはドイツこそが「…まさにアフリカ開拓の頂点を(単なる戦場として使用することで)」 [Strachan, p. 571] 犯したことに罪があったのであり「何があろうとこれら植民地をドイツに返すことはない」という風潮を創り上げるために考え出されたものである [Louis, p. 116]。
  26. ^ Farwell, p. 355-356
  27. ^ Miller, p. 331; レットウ=フォルベックをセント・ジェームズ宮殿へ派遣する大使候補に推薦したのはベルリンを訪問していたマイナーツハーゲン元大佐(退役)である(訳注: 各国の駐英大使はセント・ジェームズ宮殿に派遣されるのが慣例となっている)
  28. ^ a b Miller, p. 331
  29. ^ この旅行資金を提供したのはドイツの雑誌「Stern」である
  30. ^ Miller, p. ix
  31. ^ Hoyt, p. 229
  32. ^ Lefèvre, Brandenburg Division, p. 17-29
  33. ^ Farwell, p. 357
  34. ^ Miller, p. 333


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