コジマ・KE007
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コジマ・KE007 (Kojima KE007) は、コジマエンジニアリングが設計・製造したフォーミュラ1カー。1976年に富士スピードウェイで開催されたF1世界選手権イン・ジャパンに参戦した。
- ^ a b 高安「コジマKE007ディティール・ファイル」、p118。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p74。
- ^ a b 黒沼「純日本コンストラクター コジマ、孤高の挑戦。」、p56。
- ^ a b c 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p75。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p84。
- ^ 『日本の名レース100選 '76 F1イン・ジャパン』、80頁。
- ^ 大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p19。
- ^ a b c 大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p18。
- ^ a b c 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p68。
- ^ 阪「帰ってきた007 いま甦るコジマF1 V」、p208。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p81。
- ^ 高安「コジマKE007ディティール・ファイル」、p122。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p78。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p86。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p85。
- ^ a b c 黒井「F1ドライバーたちを震撼させた日本人 長谷見昌弘伝 第3回」『オートスポーツ』2002年11月28日号、p30。
- ^ a b c 大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p21。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p79。
- ^ a b 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p66。
- ^ a b 黒井「F1ドライバーたちを震撼させた日本人 長谷見昌弘伝 第4回」『オートスポーツ』2002年12月5日号、p27。
- ^ 『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p67。
- ^ 黒井「F1ドライバーたちを震撼させた日本人 長谷見昌弘伝 第4回」『オートスポーツ』2002年12月5日号、p29。
- ^ 黒沼「純日本コンストラクター コジマ、孤高の挑戦。」、p55。
- ^ 「日本レース史の断章 解良喜久雄(中編)」、p106。
- ^ a b c 熊倉「帰ってきた007 いま甦るコジマF1 I」、p167-168。
- ^ a b 黒井「F1ドライバーたちを震撼させた日本人 長谷見昌弘伝 第5回」『オートスポーツ』2002年12月12日号、p30。
- ^ a b 黒井「F1ドライバーたちを震撼させた日本人 長谷見昌弘伝 第5回」『オートスポーツ』2002年12月12日号、p31。
- ^ 大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p20。
- ^ 大会結果 - 日本自動車連盟(2012年9月5日閲覧)
- ^ “1976 Japanese Grand Prix - FASTEST LAPS”. Formula One World Championship Limited. 2017年1月23日閲覧。
- ^ a b 黒沼「純日本コンストラクター コジマ、孤高の挑戦。」、pp56-57。
- ^ ロッキングアーム式サスペンションではてこの原理を利用するアッパーアームに強い荷重が懸かる。
- ^ 栃林「帰ってきた007 いま甦るコジマF1 IV」、p213。
- ^ 阪「帰ってきた007 いま甦るコジマF1 V」、p209。
- ^ 栃林「帰ってきた007 いま甦るコジマF1 IV」、p214。
- ^ 大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p22。
- ^ "関東初お披露目、有楽町にコジマKE007が登場". オートスポーツweb.(2014年1月31日)2014年3月4日閲覧。
- ^ “1976年F1イン・ジャパンで活躍したコジマKE007が鈴鹿を疾走!!【鈴鹿サウンドオブエンジン2017】”. レスポンス (2017年11月21日). 2024年4月26日閲覧。
- 1 コジマ・KE007とは
- 2 コジマ・KE007の概要
- 3 活動経歴
- 4 保存状況
- 5 参考文献
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