ウルリヒ3世 (ケルンテン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウルリヒ3世 (ケルンテン公)の意味・解説 

ウルリヒ3世 (ケルンテン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 06:36 UTC 版)

ケルンテン公ウルリヒ3世(Ulrich III., Herzog von Kärnten, 1220年ごろ - 1269年10月27日)は、クライン領主(在位:1249年ごろ - 1269年)、ケルンテン公(在位:1256年 - 1269年)で、シュポンハイム家の最後の領主である。ウルリヒの領地支配は、後代に大きな影響を残した。クラインにおいて、ウルリヒはかつてのアンデクス家の領地を獲得したが、それは後のクライン公領の基盤となった。クラインにおけるウルリヒの以前からの領地の中心であったリュブリャナは、クライン領全体の政治の中心となった。また、父の死後継承したケルンテンについては、ウルリヒが用いたシールが現在のケルンテンの紋章となった。ウルリヒはフリードリヒ2世の妃であったアグネス・フォン・メラーン、およびフリードリヒの姪アグネス・フォン・バーデンとの2回の結婚を通してバーベンベルク家の広大な遺領を確保しようとしたが、継承者を得ることができずに終わった。短期間の空位時代の後、弟アクイレイア総大司教フィリップの死により、シュポンハイム家は断絶し、ウルリヒの全所領は従兄弟のボヘミア王オタカル2世が継承した。


  1. ^ a b c d e f g h Ulrich III, Dictionary of German Biography, Vol. 10, ed. Walter Killy and Rudolf Vierhaus, (Walter de Gruyter, 2006), 149.
  2. ^ a b Mika, Norbert (2008). Walka o spadek po Babenbergach 1246-1278. Racibórz: Wydawnictwo i Agencja Informacyjna WAW Grzegorz Wawoczny. p. 73.


「ウルリヒ3世 (ケルンテン公)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ウルリヒ3世 (ケルンテン公)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウルリヒ3世 (ケルンテン公)」の関連用語

ウルリヒ3世 (ケルンテン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウルリヒ3世 (ケルンテン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウルリヒ3世 (ケルンテン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS