イブラーヒーム・イブン・アル=マフディーとは? わかりやすく解説

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イブラーヒーム・イブン・アル=マフディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 05:57 UTC 版)

イブラーヒーム・イブン・アル=マフディー (アラビア語: إبراهيم بن المهدي‎ 779年 – 839年) は、アッバース朝の王族、歌手、作曲家、詩人[1]アミーンマアムーンの間で内乱が起きた時、一時期カリフに即位した[1]

生涯

イブラーヒームはアッバース朝カリフのマフディーの息子である[1][2]。異母姉に詩人、歌手として高名なウライヤがいる[1][2]。第4代カリフ・ハーディーと第5代カリフ・ラシードは異母弟である[2]。彼らの母はベドウィン出身のハイズラーンであるが、イブラーヒームの母はアフロ・イラン人のシクラもしくは[要検証]シャクラという名の王女だった。そのため、歴史家のイブン・ハッリカーンによれば、イブラーヒームは「暗い色の顔」の持ち主だった[3]

ハールーン・アッ=ラシードの息子であるアミーンとマアムーンの間でアッバース朝第四次内乱が勃発していたとき、イブラーヒームはバグダードの住民に推され、817年7月20日にカリフに即位した。彼はムバーラク (アラビア語: المبارك‎) と名乗り、甥のマアムーンの廃位を宣言、ハーシム家の服属も取り付けた。しかし819年にはマアムーンがバグダードに入り、ムバーラクは退位を余儀なくされた。以降彼は詩人・音楽家として余生を送り、「並外れた声域に恵まれた、当時もっとも才能ある音楽家」となった[1]。彼は当時としては革新的な「冗長で即興的な」ペルシア型の歌謡の推進者だった[4]

脚注

  1. ^ a b c d e Kilpatrick, H. (1998). "Ibrāhīm ibn al-Mahdī". In Meisami, Julie Scott; Starkey, Paul (eds.). Encyclopedia of Arabic Literature. Vol. 1. Taylor & Francis. p. 387. ISBN 978-0-415-18571-4
  2. ^ a b c 中野, さやか「アブー・ファラジュ・イスファハーニー著『歌書』に見られる歌手達の分析:ウマイヤ朝・アッバース朝宮廷との関わりを中心に」『日本中東学会年報』第28巻第1号、2012年7月15日、59-98頁、doi:10.24498/ajames.28.1_59 
  3. ^ Ibrahim Al-Mahdi”. Great People of Color. Marcus Garvey web site (2004年). 2007年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月8日閲覧。
  4. ^ Agnes Imhof, 'Traditio vel Aemulatio? The Singing Contest of Sāmarrā’, Expression of a Medieval Culture of Competition', Der Islam, 90 (2013), 1-20 (p. 1), DOI 10.1515/islam-2013-0001, http://www.goedoc.uni-goettingen.de/goescholar/bitstream/handle/1/10792/Traditio%20vel%20Aemulatio.pdf?sequence=1.



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