アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/28 06:55 UTC 版)
アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバ・ブン・アビー・ムアイト(アラビア語: أبان بن الوليد بن عقبة بن أبي معيط, ラテン文字転写: Abān ibn al-Walīd ibn ʿUqba ibn Abī Muʿayṭ)は、ウマイヤ家の一族であり、カリフのマルワーン1世(在位:684年 - 685年)とアブドゥルマリク(在位:685年 - 705年)の下でヒムス、キンナスリーン(ジャズィーラを含む)およびアルメニアの総督を務めた人物である[1]。また、兄弟のウスマーンはアルメニアにおけるアバーンの代官であったか、あるいは自らも総督であった可能性がある。アバーンの別の代官には694年か695年にビザンツ帝国を破ったディーナール・ブン・ディーナールがいる[1]。
- ^ a b Crone 1980, p. 124.
- ^ Dixon 1971, pp. 92–93.
- 1 アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバとは
- 2 アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバの概要
- アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバのページへのリンク