HALL OF GLASS HALL OF GLASSの概要

HALL OF GLASS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/27 15:16 UTC 版)

映像的な音楽が特徴。1980年代のニュー・ウェイブのリズムを基本として、プログレッシブ・ロック、ゴシック、アンビエント、の要素を合わせ持つ曲調は独特の雰囲気を持っている。

バンド名の由来

バンド名はGROUP87の曲、Hall Of Glass からとっている。 GROUP87はマーク・アイシャム(tp,kb)ピーター・マウヌ(g,kb,vio)パトリック・オハーン(b)からなるグループ。ゲストにはテリー・ボッチオ(ds)ピーター・ウルフ(p)が参加している。 その中の1曲、Hall Of Glass は反復されるシーケンス・フレーズの上にピーター・マウヌの幻想的なギターがのっている美しい曲である。 この曲に感銘を受けたカズロウがグループ名をこの曲からとっている。

バイオグラフィー

第一期

結成は1987年。KBのカズロウが雑誌のメンバー募集でGの松本と結成。 初ライブは1988年1月。この時はベースが佐久間、ボーカルがゲスト参加で、ドラムは打込みだった。 その後、ベースの佐久間が脱退。ベースは北川が参加。 ボーカルには当時高校生の小川がオーディションで決定。 ドラムだけは決まらなかったのでドラム・マシンによる打込みで活動を続ける。 この時期が第一期である。 渋谷DO'in、下北沢屋根裏、渋谷Lamama、と1989年1月~2月にライブを行う。 ボーカルがしっくりこなかったため、新たなボーカルをオーディションにより決定。 それが姫草であった。

第二期

圧倒的な歌唱力を持つ姫草をメンバーに迎え入れ、ここから第二期がスタートする。 第二期最初のライブはドラムがゲスト参加している。 第二期のメンバーは Vo:姫草 Bass:北川 Guitar:松本 KB:カズロウ Ds:ゲスト 1989年3月、このメンバーでRitzでライブを行う。 同、4月、Dsが抜けてDsは打込みでRitzでライブを行う。 このあとDsに鈴木が加入。Bassが抜けてしまう。 Bassはゲストでしのいで 7月、チョコレート・シティ(代々木)Bass:石井(ゲスト) 第二期8月、Live Station(目黒)Bass:中平(ゲスト) 10月のチョコレート・シティのライブより正式メンバーとして日暮が参加する。 Vo:姫草 Bass:日暮 Guitar:松本 KB:カズロウ Ds:鈴木 以下このメンバーで目黒のLive Stationで月1回のペースで活動をしていく。 当時はバンド・ブームで、新加入の日暮が応募したテープがオーディションを通過し、イカ天(イカすバンド天国)に出場する事になる。 無事に完送し、姫草はベストボーカル賞を受賞する。この時はたまの5週目でグランドチャンピオンがかかっている週で、他にもマルコシアス・バンプいたりと目立つバンドがいたため、HALL OF GLASSは姫草がベストボーカル賞をとったにもかかわらず、存在はかすんでいた。 たまは無事にグランドチャンピオンを獲得し、マルコシアス・バンプも暫定チャンピオンとなった。 HALL OF GLASSはコンスタントにライブを続けていたが、いつまでたってもどうにもならない状況にメンバーのフラストレーションがたまり、ボーカルの姫草が脱退してしまう。 圧倒的な歌唱力を持つ姫草の脱退に各メンバーも脱退していった。 残ったのはギターの松本とKBのカズロウだけだった。 直後のライブを2人で行った。バンド始まって以来の女性ボーカル不在の事態をそれぞれが歌いまわす事で乗りきったがステージはボロボロだった。 姫草がボーカルを務めていた時期が第二期である。

第三期

残った2人は新しいボーカルを探し始める。 ここで加入してくるのが現ボーカルのポチコである。 ポチコをフロントにたててバンドはなんとか立て直す事が出来た。 1990年11月、第三期の最初のライブが Live Station(目黒)で行われた。 このときのメンバーは Vo:ポチコ Guitar:松本 KB:カズロウ Bass:石井(ゲスト) ドラムは打込みであった。 その後、3人でのライブが続いていく。 Live Station(目黒)を中心に活動を続けていくがイカ天で獲得したファンも次第に少なくなっていく。 活動の場をゴスペル(仙川)に移し、ライブを定期的(月1回)に続けていくのだが第三期もいきなり終わりを告げる。 リーダーのカズロウ以外でのバンド唯一のオリジナルメンバーであるギターの松本の脱退である。

第四期

残されたポチコ(Vo)とカズロウ(Kb)はメンバーを探しながらもライブは続けていった。 だが松本ほど才能とセンスのあるギターが見つかる訳もなく、ギターはゲストだったり、ギターなしでの演奏が続いていく。 Vo:ポチコ KB:カズロウ メンバーは2人のみ。 ベースとドラムは打込み。 ギターがゲストで参加する場合もあったが基本は2人でのライブであった。 ついに1人の客もこなかった日を最後にHALL OF GLASS はライブをやめてしまう。 ここから長期活動停止に入る。1991年のことである。

活動再開

2007年の春、ベースを弾き始めたポチコが、カズロウにふたたび活動する事をもちかける。 カズロウが応じたことでHALL OF GLASSは長い休止時期から再び活動を始める。 活動のメインはレコーディングだった。 楽曲を形にする事。それが再活動の目的であった。 時代の流れは自宅でのレコーディングを可能にしていた。 シンセ・サイザーの進歩、機材の進歩が追い風となっていた。 彼等を後押ししたのが英国の音楽サイト「Musicians together」である。 このユーチューブに似た音楽専門のアマチュア・インディーズ・サイトで彼等は絶大な評価を受ける。 この事が大きな自信となり3年の歳月をかけて1stアルバムが完成する。 それが「Faded Landscape -色褪せた風景」である。 Musicians togetherのCDレビューに掲載されたこの1stアルバムは、海外では高評価であった。 アルバムを完成させた彼等は次にライブ活動を再開する。 2011年11月に長い休止活動に終わりを告げるライブを行う。 最後のライブから20年たっていた。

ディスコグラフィ

アルバム

Faded Landscape -色褪せた風景-(2011)




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