「明和6年」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/1464件中)
読み方:りょうたくしゅう大島蓼太の句集。3編。明和6年(1769)初編刊行。
読み方:りょうたくしゅう大島蓼太の句集。3編。明和6年(1769)初編刊行。
読み方:りょうたくしゅう大島蓼太の句集。3編。明和6年(1769)初編刊行。
読み方:やまもと たんせん江戸中期の狩野派の画家。山本宗川の養子。山本家第5代。名は守業、俗称は数馬。宝暦5年に法橋、明和6年に法眼となる。安永9年(1780)歿、59才。
読み方:やまもと たんせん江戸中期の狩野派の画家。山本宗川の養子。山本家第5代。名は守業、俗称は数馬。宝暦5年に法橋、明和6年に法眼となる。安永9年(1780)歿、59才。
江戸後期の画家。名は貞起、通称は内記・右膳のち左膳。越前福井藩家老岡部主貞の嫡男。明和6年家督を受け、家老職となる。書画を能くし、特に墨竹画にすぐれる。寛政12年(1800)歿、68才。
読み方:むらた はるみち江戸中期の歌人。初め忠興、通称は平四郎、尚古堂と号する。春郷・春海の二子と共に賀茂真淵の門に入り和歌を学ぶ。趣味人で風格ある歌人であった。明和6年(1769)歿。
読み方:むらた はるみち江戸中期の歌人。初め忠興、通称は平四郎、尚古堂と号する。春郷・春海の二子と共に賀茂真淵の門に入り和歌を学ぶ。趣味人で風格ある歌人であった。明和6年(1769)歿。
江戸中期の臨済宗の僧。天龍寺二一七世。翠岩は道号、承堅は法諱。師は瑞源等禎。詩文・書・茶の湯を能くした。明和6年(1769)寂、69才。
読み方:はやみ ふさつね国学者。京都の人。号方巾斎。名房常・常房。壷井義知の門に入り修学し、有職故実に精しく殊に律令格式を研究して系譜に精進し、又和歌をよくする。『職原須知』『掌東問答』『見聞私記』等...
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「明和6年」の辞書の解説