「張弘略」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/75件中)
張 弘略(ちょう こうりゃく、? - 1296年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯の一人。字は仲傑。保定の大軍閥(漢人世侯)であった父の張柔の地位を継承したが、クビライ政権の漢人世侯解体政策を受けて軍...
張 弘彦(ちょう こうげん、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えた漢人将軍で、保定の大軍閥(漢人世侯)であった張柔の息子の一人。『元史』には立伝されていないが『羅氏雪堂蔵書遺珍』に収録される『経世大典』...
唐 慶(とう けい、? - 1232年7月24日[1])は、金朝末期からモンゴル帝国初期にかけて活躍した人物。概要唐慶の出身・来歴については記録がないが、モンゴル軍が初めて華北に侵攻す...
張 好古(ちょう こうこ、? - 1262年)は、13世紀半ばにモンゴル帝国に仕え活躍した漢人将軍の一人。冀州南宮県の出身。概要張好古は金末の混乱期に漢人世侯の一人厳実に仕えて活躍した張晋亨の息子であ...
王 徳禄(おう とくろく、明昌4年(1193年) - 太祖19年5月15日(1224年6月3日))は、金朝末期からモンゴル帝国初期にかけて活躍した人物。『元史』には立伝されていないが『遺山先生文集』巻...
趙 秉温(ちょう へいおん、1222年 - 1293年)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人官僚の一人。字は行直。父は最初期のモンゴル帝国に仕え華北平定に従事した趙瑨。概要趙秉温は若い頃より即位...
邸 沢(てい たく、? - 1291年)は、モンゴル帝国(大元ウルス)に仕えた漢人将軍の一人。モンゴル帝国初期にモンゴルに降った邸琮の息子。生涯邸沢は父の邸琮が亡くなった後に地位を継ぎ、潁州に移ってこ...
邸 琮(てい そう、1205年 - 1239年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人将軍の一人。字は叔玉。モンゴル帝国初期の漢人世侯であった邸順の族弟。概要邸琮の族兄であるは邸順は金末の混乱期に一族の者や郷里...
劉 復亨(りゅう ふくこう、? - 1283年)は、モンゴル帝国・元に仕えた漢人武将。字は誠之。済南府斉河県の出身。概要生い立ち父は行軍千戸の劉通。父の代から、漢人軍閥(漢人世侯)のうちの四大軍閥(四...
厳 忠嗣(げん ちゅうし、? - 1273年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。東平を中心とする大軍閥を築いた厳実の息子で、兄弟には厳忠済・厳忠範らがいる。概要厳忠嗣は幼い頃より張澄...
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「張弘略」の辞書の解説