ボノ
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| ボノ (Bono) | |
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ボノ(2017年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Paul David Hewson |
| 別名 | Bono |
| 生誕 | 1960年5月10日(66歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ボーカル ギター ハーモニカ |
| 活動期間 | 1976年 - 現在 |
| 共同作業者 | U2 |
| 公式サイト | http://www.U2.com/ |
| 著名使用楽器 | |
| グレッチ・アイリッシュ・ファルコン | |
ボノ(Bono、1960年5月10日 - )は、アイルランドのシンガーソングライター、社会活動家、実業家。本名はポール・デイヴィッド・ヒューソン(Paul David Hewson)。ロックバンドU2のリード・ボーカルおよび主要な作詞家として知られる[1]。名誉大英帝国勲章ナイト・コマンダー(KBE)。
1976年にU2の前身となるバンドへ参加し、感情的な歌唱、観客へ直接働きかける舞台表現、宗教、愛、戦争、政治などを扱った歌詞によって、バンドの音楽的・視覚的な中心人物となった[2][3]。1990年代には「ザ・フライ」「マクフィスト」などの舞台人格を演じ、それまでの誠実で社会意識の強いイメージに、アイロニーと自己風刺を取り入れた[4]。
2007年のQ誌が発表した「歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第26位[5]、2008年『ローリング・ストーン』誌が発表した「史上最も偉大な100人のシンガー」において第32位に選ばれている[6]。
1990年代末からは、U2の活動と並行して、アフリカ諸国の対外債務、極度の貧困、HIV/AIDSなどの問題へ継続的に関与している。国際的な債務救済運動「ジュビリー2000」に参加した後、DATA、ONEキャンペーン、(RED)の共同設立に関わり、各国政府、国際機関、宗教団体および企業へ政策変更を働きかけてきた[7][8][9]。
音楽および人道支援への貢献により、フランスのレジオンドヌール勲章、芸術文化勲章コマンドゥール、名誉KBEなどを受けた[10][11]。2005年にはビル・ゲイツ、メリンダ・ゲイツ夫妻とともに『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、2025年にはアメリカ合衆国の大統領自由勲章を授与された[12][13]。
2019年、純資産が7億ドルを超え、世界で二番目に裕福なロックスターと報じられた[14]。
来歴
幼少期
ボノは1960年5月10日、アイルランドのダブリンにあるロタンダ病院で生まれ、ポール・デイヴィッド・ヒューソン(Paul David Hewson)と名付けられた。父はブレンダン・ロバート・ヒューソン(通称ボブ)、母はアイリス・ヒューソンで、7歳年上の兄ノーマンがいた。一家はダブリン北部グラスネヴィンのシダーウッド・ロード10番地で暮らしていた[15][16]。
父ボブは郵便局員で、オペラを好むローマ・カトリック教徒だった。母アイリスはプロテスタントのアイルランド聖公会信徒であり、両親の結婚は、宗派間の緊張が残っていた当時のアイルランドでは比較的珍しい宗派間結婚だった[15][17]。ボノと兄は母とともに聖公会の礼拝へ通い、父は家族を教会へ送り届けた後、カトリック教会のミサに出席していた。ボノは後年、異なる宗派が同居する家庭に育ったことが、教派や制度化された宗教に一定の距離を置く自身の信仰観に影響したと述べている[18][19]。
子供のころはチェスを得意としていた。8歳か9歳のころ、母方の祖父からチェスを教わり、やがて定石を学ぶ前から独自の序盤戦術を考えるほど熱中したと回想している[20]。12歳ごろにはチェスの名人についての本を読んだことをきっかけに地元の愛好家と対局するようになり、チェスクラブの会長を破ったこともあった。ボノは、思考を整理して一つのことへ集中できるチェスが、衝動的な自分の性格に適していたと述べている[21]。後年には12歳で国際大会に出場したと語ったが、父ボブはこれを誇張だとし、実際の実績は地元クラブの会長に勝ったことだったと説明している[22][21]。
学業においては、グラスネヴィン国民学校に通った後、ダブリン中心部のセント・パトリックス大聖堂文法学校へ進学した。同校の規律になじめず、教師との対立や欠席を繰り返したため退学となり、宗派を問わず生徒を受け入れる共学校のマウント・テンプル総合学校へ転校した[23][24]。同校でのちに妻となるアリソン・スチュワート(通称アリ)と知り合った[25][26]。
母の死と青年期
1974年9月、母アイリスは自身の父親の葬儀に参列中に倒れ、数日後の9月10日に脳出血で死去した。当時14歳だったボノは、その後、父および兄との男性3人の家庭で育った[27][28]。家族はアイリスの死についてほとんど語り合わず、ボノは学校で騒動を起こしたり、友人の前で過度に目立とうとしたりすることで喪失感に対処したと回想している[29]。
母の死はその後もボノの創作に繰り返し現れ、「アイ・ウィル・フォロー」「トゥモロー」「レモン」「モーフォ」「アイリス(ホールド・ミー・クロース)」などの題材となった[30][31]。ボノは、自身の歌唱や舞台上での行動には、母を失った空白を埋め、観客から愛情や承認を得ようとする側面があったと分析している[32]。
マウント・テンプル在学中には、デレク・ローワン(のちのグッギ)、ギャヴィン・フライデー、フィオンタン・フィッツジェラルドらと親しくなった。彼らは「リプトン・ヴィレッジ」と称する友人集団を形成し、互いにあだ名を付け、即興的なパフォーマンス、絵画、音楽などに取り組んだ[33][34]。
ポール・ヒューソンは当初、「Steinhegvanhuysenolegbangbangbangbang」と呼ばれたが、この名前を拒否したため、ダブリンのオコンネル・ストリート付近にあった補聴器店「Bonavox」にちなむ「Bono Vox of O'Connell Street」という名が提案された。これはのちに「Bono」へ短縮された[35]。本人は当初この名前を好まなかったが、「良い声」を意味するラテン語風の名称であると説明され、受け入れるようになった[36]。
信仰とU2への参加
1976年9月、ボノは、ラリー・マレン・ジュニアがマウント・テンプルの校内掲示板に出したバンド結成の告知に応じ、マレンの自宅で行われた最初の練習に参加した。そこにはデイヴ・エヴァンス(ジ・エッジ)、その兄ディック・エヴァンス、アダム・クレイトンらも集まっていた。ボノはギター演奏に習熟していなかったため、次第にリード・ボーカルを担当するようになった[37][38]。当初から正確な歌唱技術よりも、舞台上を動き回り、即興的に歌詞を作り、観客へ直接働きかける能力を示した[39][40]。
青年期のボノは、幼少期から接していたキリスト教を個人的な信仰として改めて受け入れるようになった。U2結成後の1970年代末には、ジ・エッジ、ラリー・マレン・ジュニアらとともに、ダブリンの福音派・カリスマ運動系キリスト教共同体「シャローム」へ参加し、祈祷会や聖書研究に通った[41][42]。シャロームは通常の教会というより、若者たちが個人宅などに集まり、祈り、聖書の朗読、音楽、信仰体験の共有を行う共同体だった[42]。
バンドが音楽活動を職業として選ぶ過程では、ボノ、ジ・エッジ、ラリーは、ロック音楽の世界で成功を求めることと、キリスト教徒として生活することが両立するのかという葛藤を抱いた。特に『アイリッシュ・オクトーバー』の制作前後には、ジ・エッジがバンドからの脱退を考え、ボノもU2の継続に疑問を抱いた[43][44]。最終的には、音楽活動そのものを信仰の表現や他者への働きかけにできると考え、シャロームとは距離を置いてバンドを継続した[44][45]。
結婚と国際的成功
ボノは1982年8月、学生時代から交際していたアリソン・スチュワートと、ダブリンのラーエニーにあるオール・セインツ教会で結婚した。式はアイルランド聖公会の形式にカリスマ運動の要素を取り入れたもので、U2の宗教的助言者だったジャック・ヒーズリップが司式し、アダム・クレイトンが花婿付添人を務めた[46][47]。
1980年代にU2が国際的な成功を収めると、ボノは大規模な会場で観客を引き付けるフロントマンとして知られるようになった。その歌唱と舞台上の人格は、母の死、キリスト教信仰、アイルランド人としての意識、アメリカ音楽への憧れなどを組み合わせたものだった[48][49]。一方、本人は急速な成功によって自意識が肥大化し、家庭生活やバンド内部の人間関係へ負担を与えた時期があったとも回想している[50]。
夫妻には、ジョーダン(1989年生)、イヴ(1991年生)、イライジャ(1999年生)、ジョン(2001年生)の4人の子供がいる[51][52]。ボノは長期間のツアーと家庭生活を両立させるため、家族を公演先へ同行させたり、公演の合間にダブリンへ戻ったりしていた[53][54]。
1990年代の自己再構築
1980年代末、U2はアメリカのルーツ音楽へ接近した『魂の叫び』を発表したが、その過度に真剣で尊大なイメージは批判の対象となった。ボノ自身も、当時の自分について世界の問題を一身に引き受けるような態度を取っていたと振り返っている[55][56]。
1990年代初頭には、サングラスと黒い衣装を身に着けた「ザ・フライ」、退廃的なロックスターを戯画化した「ミラー・ボール・マン」、悪魔を模した「マクフィスト」など、複数の舞台人格を演じた[4][57]。これらは、従来の誠実で使命感の強いボノ像を相対化し、アイロニーや自己風刺を取り入れる試みだった。もっとも、ボノはこうした人物を単なる仮装ではなく、自身の性格に内在する虚栄心、権力欲、誘惑などを誇張した存在と説明している[58][59]。
この時期にも家族の生活拠点は主としてダブリンに置かれた。ボノは世界的な著名人となった後もアイルランドに住み続けた理由について、幼い頃からの友人や家族との関係が、自身をロックスターとしての人格から日常生活へ引き戻す役割を果たしたと述べている[60][54]。
父の死と社会活動への比重の移行
父ボブは晩年、癌とパーキンソン病を患った。2001年のエレヴェイション・ツアー中、ボノは公演の合間にダブリンへ戻り、入院中の父を見舞っていたが、ボブは同年8月21日に死去した[61][62]。葬儀はU2のスレーン・キャッスル公演の直前に行われ、ボノは同公演を父に捧げた。父との緊張を含んだ関係とその死は、「サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン」や、自伝をもとにした一人舞台の主要な題材となった[63]。
1990年代末以降、ボノは音楽活動と並行して、アフリカ諸国の債務救済、HIV/AIDS対策、極度の貧困などに関する活動へ多くの時間を割くようになった[7][8]。これによって、ボノ個人はU2の歌手としてだけでなく、政府、国際機関、企業および非政府組織の間を仲介する著名人としても認識されるようになった[9][8]。
2022年、初の本格的な回想録『Surrender: 40 Songs, One Story』を刊行した。同書では、40曲のU2作品を手掛かりとして、母の死、父との関係、結婚生活、信仰、バンドの成功、健康問題および社会活動について回想している[64]。刊行に合わせて、音楽と朗読を組み合わせた一人舞台「Stories of Surrender」を上演し、2023年にはニューヨークのビーコン・シアターで公演した[65]。この公演を収録した映像作品『Bono: Stories of Surrender』は2025年に公開され、ボノはU2の大規模な舞台とは異なる形式で、自身の家族、信仰、死への意識および音楽家としての人生を語った[66]。
政治・社会活動
1990年代末以降、ボノはU2の活動と並行して、アフリカ諸国の対外債務、極度の貧困、HIV/AIDSなどの問題に継続的に取り組むようになった。1998年に国際的な債務救済運動「ジュビリー2000」へ参加し、各国政府や国際金融機関に最貧国の債務免除を求めたことが、本格的な政策提言活動の出発点となった[67][68]。
その後、DATA、ONEキャンペーン、(RED)の共同設立に関わり、債務救済、援助、貿易制度、感染症対策をめぐって、各国の政治家、宗教指導者、国際機関および企業へ働きかけた[8][9][69]。こうした活動により、ボノはU2の歌手としてだけでなく、政策決定者と市民運動を結ぶ著名人の擁護活動家としても知られるようになった[8][70]。
『フォーチュン』誌は2014年、「世界で最も偉大な指導者50人」でボノを第8位に選び、政治的立場の異なる指導者を結びつけ、貧困および感染症対策への資金を引き出した能力を評価した[71]。
人物
名前
本名はポール・デイヴィッド・ヒューソン(Paul David Hewson)である。1960年5月10日、アイルランドのダブリンにあるロタンダ病院で、父ブレンダン・ロバート・ヒューソン(通称ボブ)と母アイリス・ヒューソンの次男として生まれた[15]。
「ボノ」という名は、10代のころに参加していた友人集団「リプトン・ヴィレッジ」で用いられるようになったあだ名である。当初は「Steinhegvanhuysenolegbangbangbangbang」と呼ばれたが、本人が拒否したため、ダブリンのオコンネル・ストリート付近にあった補聴器店「Bonavox」にちなむ「Bono Vox of O'Connell Street」が提案され、のちに「Bono」へ短縮された。「Bona vox」はラテン語風に解釈すれば「良い声」を意味する[35]。
家族
ボノはダブリン北部グラスネヴィンのシダーウッド・ロード10番地で育った。父ボブはローマ・カトリック教徒で郵便局に勤務し、母アイリスはプロテスタントのアイルランド聖公会信徒だった。兄ノーマンはボノより約7歳年上である。父は日曜日になると、妻と子供たちをアイルランド聖公会の礼拝へ送り届けた後、自身はカトリック教会のミサへ出席していた[15]。
1974年9月、母アイリスは父親の葬儀に参列中に倒れ、数日後の9月10日に脳出血で死去した。当時ボノは14歳であり、母の死後は父および兄との男性3人の家庭で暮らした。この喪失はボノの人格形成と創作に大きな影響を与えたとされる[27][72]。
妻のアリソン・ヒューソン(旧姓スチュワート、通称アリ)とは、ダブリンのマウント・テンプル総合学校で知り合った。二人は1982年8月に、ダブリンのラーエニーにあるオール・セインツ教会で結婚した。式はアイルランド聖公会の形式にカリスマ運動の要素を取り入れたもので、U2の宗教的助言者でもあったジャック・ヒーズリップが司式し、アダム・クレイトンが花婿付添人を務めた[46][47]。
夫妻には、ジョーダン(1989年生)、イヴ(1991年生)、イライジャ(1999年生)、ジョン(2001年生)の4人の子供がいる[51][52]。次女イヴ・ヒューソンは俳優となり、長男イライジャ・ヒューソンはロックバンド、インヘイラーのボーカルを務めている[73][74]。
父ボブは晩年、癌とパーキンソン病を患った。ボノは2001年のエレヴェイション・ツアー中、父を見舞うため公演の合間にダブリンへ戻っていたが、同年8月21日に父は死去した。葬儀はU2のスレーン・キャッスル公演の直前に行われ、ボノは同公演を父に捧げた[61][62]。
健康
ボノは1980年代末から1990年代にかけて、鼻腔や副鼻腔の問題に伴う呼吸困難や発声上の不調を抱えていた。1999年2月には息切れと頻脈を訴えてダブリンのブラックロック・クリニックに入り、副鼻腔の疾患によって生じた気道の閉塞を改善するため、鼻、喉および耳に関する緊急手術を受けた[75]。
2000年ごろには喉に異常を感じ、癌の可能性を調べるため生検を受けた。検査では重大な疾患は確認されなかったが、ボノは、この経験と幼い子供たちを残すことへの不安が「カイト」の歌詞に影響したと回想している[76][77]。
ボノは緑内障を患っており、2014年のインタビューで、約20年前から診断を受けて治療を続けていると明らかにした。公の場で色付き眼鏡を常用している理由の一つも、緑内障に伴う光への過敏性であると説明している[78]。
2010年5月、U2 360°ツアーに向けた準備中に椎間板ヘルニアを発症し、右脚に部分的な麻痺が生じた。ドイツ・ミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学病院で脊椎の緊急手術を受け、その後約8週間のリハビリテーションを行った。このため北米公演は延期され、予定されていたグラストンベリー・フェスティバルへの出演も取りやめられた[79][80][81]。
2014年11月、ニューヨークのセントラル・パークで自転車に乗っていた際、別の自転車との衝突を避けようとして転倒した。左眼窩、左肩甲骨、左上腕骨および左手などを負傷し、とりわけ左上腕骨は皮膚を突き破る6か所の骨折となった。約5時間に及ぶ手術で金属製のプレート3枚とボルト18本が使用され、後日、左手小指にも追加手術が行われた[82]。事故後、ボノは左手の動きに障害が残り、ギターを再び演奏できるか分からないと述べた[83]。
2016年12月には、先天性の二尖大動脈弁に関連して生じた上行大動脈瘤を修復するため、ニューヨークのマウントサイナイ病院で約8時間に及ぶ開胸手術を受けた。ボノは当初、病状や手術を公表していなかったが、2022年刊行の自伝『Surrender』で詳細を明らかにし、破裂すれば生命にかかわる状態だったと回想している[84][85]。
2018年9月、ベルリンで行われたエクスペリエンス・アンド・イノセンス・ツアーの公演中に突然声が出なくなり、公演を途中で中止した。U2は、煙などの環境要因による可能性を示したうえで、医師の診察を受けると発表した[86]。翌日、ボノは専門医の診察を受け、深刻な疾患ではなく完全に回復する見込みだと発表した[87]。
その他
建築家の安藤忠雄と親交があり、ダブリンの自宅の設計を依頼した。2006年に安藤が設計した「光の教会」をボノが見学に訪れ、即興で「アメイジング・グレイス」を歌ったのが交友のきっかけ[88]。2008年には安藤が関わる海の森公園計画の植樹祭に参加した。
著作
単著
- A String of Pearls: Photographs of Ethiopia(1988年) - 1985年に妻アリとエチオピアを訪問した際に撮影した写真を収録した写真集。2,500部限定で刊行され、収益はエチオピアの救援活動に充てられた[89][90]。
- On the Move(Thomas Nelson、2006年、ISBN 978-1595552283) - 2006年のアメリカ国家祈祷朝食会で行った演説を中心に、エチオピアで撮影した写真を組み合わせた書籍。信仰と貧困対策、AIDS、国際援助および公正な貿易について論じている[91]。
- Surrender: 40 Songs, One Story(Alfred A. Knopf、2022年、ISBN 978-0525521044) - 幼少期、母の死、U2の結成と音楽活動、家族、信仰、政治家との交渉および人道支援活動を、U2の40曲に対応する40章で構成した回想録[92]。ビル・ゲイツが「人生で読んだ最高の本5冊」として取り上げ、世界100箇所の図書館(日本では京都府立植物園野外図書館)に回想録を置いた[93]。
- 日本語版『SURRENDER(サレンダー)――40 Songs, One Story』宇佐見尚也訳、早川書房、2023年、ISBN 978-4152102204[94]。
共著・対談集
- Bono on Bono: Conversations with Michka Assayas(Hodder & Stoughton、2005年、ISBN 978-0340832764) - フランスの音楽ジャーナリスト、ミシュカ・アサイヤスが行った長時間のインタビューをまとめた対談集。U2の音楽、キリスト教信仰、家族、アフリカ支援および政治活動について語っている[95]。
- U2 with Neil McCormick, U2 by U2(HarperCollins、2006年、ISBN 978-0007196685) - U2の4人のメンバーが、ジャーナリストのニール・マコーミックによる取材をもとにバンドの歴史を回想した公認自伝[96]。
- 日本語版『U2 BY U2』前むつみ監訳、久保田祐子訳、シンコーミュージック・エンタテイメント、2006年、ISBN 978-4401630380。
寄稿・編集
- 「Bono: The White Nigger」 - リチャード・カーニー編 Across the Frontiers: Ireland in the 1990s(Wolfhound Press、1988年)に収録されたエッセイ。アイルランド人の歴史的な被抑圧経験、アフリカ系アメリカ人の音楽、U2がアメリカ音楽を通じてアイルランドの音楽的伝統を再発見した過程について論じている[97][98]。
- The Book of Psalms(Pocket Canons、Canongate Books、1999年) - 『詩篇』の選集に序文を寄稿し、聖書の詩篇がブルースやゴスペルなどのポピュラー音楽へ与えた影響について論じた[99]。
- 『ヴァニティ・フェア』2007年7月号 - アフリカを特集した同号のゲスト編集者を務め、政治家、作家、芸術家、活動家らによる記事を編成した[100]。
U2以外の音楽活動
- 1984年、アダム・クレイトンとバンド・エイドのチャリティーシングル「Do They Know It's Christmas?」に参加。
- 1985年、クラナドと共演した「In A Lifetime」をシングルリリース。
- 1985年、「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」による曲「サン・シティ」に参加。また、同曲が収録されたアルバム『サン・シティ』で「Silver and Gold」をキース・リチャーズ、ロン・ウッドと共演。
- 1988年、ロイ・オービソンのアルバム『ミステリー・ガール』(発売は1989年)にジ・エッジと共作した「She's A Mystery To Me」を提供して、同曲のプロデュースとギター演奏でも参加。
- 1992年、映画『ハネムーン・イン・ヴェガス』のサントラで、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love(好きにならずにいられない)」をカヴァー。
- 1993年、フランク・シナトラと「I've Got You Under My Skin(あなたはしっかり私のもの)」を共演(録音は別録り)。
- 1994年、映画『父の祈りを』のサントラで「In The Name Of Father」をギャヴィン・フライデーと共演。
- 1995年、クインシー・ジョーンズのアルバム『Q's Juke Joint』でレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーと共演。
- 1995年、ジ・エッジと共作した「GoldenEye」をティナ・ターナーに提供、映画『007/ゴールデンアイ』の主題歌となる。
- 1996年、カール・パーキンスのアルバム『Go Cat Go!』で「Give Me Back My Love」をウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、トム・ペティと共演。
- 1996年、ドーナル・ラニーがプロデュースしたアルバム『Common Ground(魂の大地)』に、アダム・クレイトンと共に参加。U2の「Tomorrow」(『アイリッシュ・オクトーバー』収録曲)をアイルランド音楽にアレンジしたセルフカヴァーを歌う。
- 1997年に自殺した友人マイケル・ハッチェンスとの共作「Slide Away」は、死後発売された『Michael Hutchence』に収録された。U2の『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』の収録曲「スタック・イン・ア・モーメント」はハッチェンスへの鎮魂歌である。
- 2001年、映画『ムーラン・ルージュ』のサントラで「Children Of The Revolution」(T・レックスの楽曲)をギャヴィン・フライデーとカヴァー。
- 2001年、チャリティ・プロジェクト「オールスター・トリビュート」を提唱し、「ホワッツ・ゴーイン・オン」(マーヴィン・ゲイのカヴァー)のレコーディングに参加。
- 2001年、ミック・ジャガーのアルバム『Goddess In The Doorway』で「Joy」を共演。
- 2003年、ネルソン・マンデラのチャリティーイベント「46664」にジ・エッジと参加し、ビヨンセ、デイヴ・スチュワートらと共演。
- 2006年、トニー・ベネットのアルバム『Duets:Amerivan Classic』で「I Wanna Be Around」を共演。
- 2010年、ミュージカル『スパイダーマン』の音楽をジ・エッジとともに担当。
2000年にはかねてより温めていた原案を製作し、ヴィム・ヴェンダース監督の『ミリオンダラー・ホテル』として映画化する(ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞)。主題歌やサントラ制作も手掛けた。
2003年には娘2人とイラストを描いた『ピーターとおおかみ』(セルゲイ・プロコフィエフ原作)を出版した。付属CDのナレーション・音楽担当は親友のギャヴィン・フライデー(日本語版ナレーションはジョン・カビラ)。
使用機材
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受賞・栄典
ボノは音楽活動とは別に、アフリカ諸国の債務救済、極度の貧困の削減、HIV/AIDS対策などへの貢献を理由として、各国政府、大学および民間団体から表彰されている。
- 2000年 - U2のほかのメンバーおよびマネージャーのポール・マクギネスとともに、ダブリン市の名誉市民に当たる「Freedom of the City of Dublin」を授与された[101]。
- 2001年 - 欧州の債務救済運動への貢献により、『ヨーロピアン・ボイス』紙の「European of the Year」に選ばれた[102]。
- 2003年 - フランス政府からレジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与された。授与理由には音楽活動と人道支援活動への貢献が挙げられた[103]。
- 2004年 - ペンシルベニア大学から名誉法学博士号を授与された。同大学は、DATAの共同設立やAIDSおよび貧困対策への取り組みを授与理由として挙げている[104]。
- 2005年 - 社会問題の解決に向けた構想を支援するTED賞を受賞した[105]。
- 2005年 - ビル・ゲイツ、メリンダ・ゲイツ夫妻とともに、『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。三者は、政治指導者ではない立場から貧困、感染症および災害救援に取り組んだ「善きサマリア人」として紹介された[106]。
- 2005年 - ポルトガルから自由勲章(Ordem da Liberdade)大将校章を授与された[107]。
- 2007年 - イギリス政府から名誉大英帝国勲章ナイト・コマンダー(KBE)を授与された。アイルランド国民であるため「サー」の称号は用いないが、氏名の後にKBEを付すことができる[108][109]。
- 2007年 - DATAと共同で、アメリカ合衆国のナショナル・コンスティテューション・センターからリバティ・メダルを授与された。極度の貧困およびHIV/AIDSに対する国際的な関心を高めたことが評価された[110]。
- 2007年 - NAACPイメージ・アワードのチェアマンズ・アワードを受賞した[111]。
- 2008年 - 音楽と人道支援活動を通じて平和に貢献した人物に贈られる「マン・オブ・ピース」賞を受賞した[112]。
- 2013年 - フランス文化省から芸術文化勲章コマンドゥールを授与された。音楽家としての功績に加え、人道支援活動も評価の対象となった[113]。
- 2022年 - ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領から功労勲章を授与された。ロシアによるウクライナ侵攻下での支援活動が授与理由とされた[114]。
- 2025年 - ジョー・バイデン大統領から、アメリカ合衆国で文民に贈られる最高位の栄典である大統領自由勲章を授与された。音楽活動に加え、AIDSおよび極度の貧困に対する国際的な活動、ONEキャンペーンと(RED)の共同設立が評価された[115][116]。
脚注
注釈
出典
- ↑ Jobling 2014, pp. 10–12, 24–34.
- ↑ McCormick 2006, pp. 38–54.
- ↑ Jobling 2014, pp. 368–371.
- 1 2 Flanagan 1995, pp. 31–39, 123–131, 243–250.
- ↑ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ↑ “100 Greatest Singers: Bono”. Rolling Stone. (2008-12-03) 2026年9月12日閲覧。.
- 1 2 Jobling 2014, pp. 263–284.
- 1 2 3 4 5 Cooper 2008, pp. 31–52.
- 1 2 3 Brockington 2014, pp. 103–116.
- ↑ “U2's Bono receives knighthood”. BBC News. 2007年3月29日. 2026年9月12日閲覧.
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外部リンク
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