NHAとは? わかりやすく解説

Nha

名前 ニャ

ナショナルホッケーアソシエーション

(NHA から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/16 02:25 UTC 版)

ナショナルホッケーアソシエーション
後継 NHL
競技 アイスホッケー
創立 1909年12月2日 (116年前) (1909-12-02)
会長 Mike Doheny
Emmett Quinn
T. Y. Foster
Frank Robinson
開始年 1910年
参加チーム 11
リーグレベル メジャーリーグ
国内カップ戦 オブライエンカップ
スタンレーカップ
カナダ
競技場 オンタリオ州ケベック州
最終年 1918年12月11日 (107年前) (1918-12-11)
最終優勝 モントリオール・カナディアンズ (1916-17)
最多優勝 モントリオール・カナディアンズ
オタワ・セネターズ
ケベック・ブルドッグス (2)
創立者 アンブローズ・オブライエン

ナショナルホッケーアソシエーション (英語: National Hockey Association, 略称:NHA) は、1909年から1918年まで活動したカナダオンタリオ州ケベック州にチームを持つプロアイスホッケーメジャーリーグであり、ナショナルホッケーリーグ (NHL) の直接の前身である。

歴史

東カナダアマチュアホッケー協会 (ECAHA) の1908年シーズン終了後、唯一アマチュア選手のみで構成されていたモントリオール・ビクトリアズモントリオール・ホッケー・クラブがリーグを脱退し、実質的なプロリーグとなったECHAの所属チームの1つであるモントリオール・ワンダラーズジュビリー・アリーナのオーナーであるP.J.ドーランに売却され、1910年シーズンに向けてクラブをモントリオール・アリーナからより小さなジュビリーに移す計画を立てたが、リーグの他のメンバーがジュビリーで行われた試合の収益をより少なく受け取ることを防ぐためにECHAを解散させ、利益を最大化するために会員数を制限したカナダホッケー協会 (CHA) 新設した。

CHAは11月25日の会議でワンダラーズの代表ジミー・ガードナーレンフルー・クリマリー・キングスのオーナーであるアンブローズ・オブライエンの加盟申請を却下した。ガードナーとオブライエンは新たなプロリーグの立ち上げを提案し、1909年12月2日にナショナルホッケーアソシエーション (NHA) が設立された(設立当初の正式名称は、National Hockey Association of Canada Limited,)。

レンフルー・ミリオネアズ_1909-1910

オブライエンはリーグ内の4チーム(レンフルー、コバルト、ヘイリーベリー、モントリオールのレ・カナディアンズ)に資金を提供し、ワンダラーズが5番目のチームとして参加した。1910年1月15日のNHA会議において、NHAはCHAのオタワ・セネターズモントリオール・シャムロックスの加盟を認め、興行不振のためCHAはわずか9試合で解散した。フランクとレスターのパトリック兄弟はそれぞれ高額な2,000と3,000ドル、サイクロン・テイラー英語版は年間5,250ドルでレンフルーと契約し、世界最高給のアスリートとなった。さらにレンフルーはカナディアンズのニュージー・ラロンド英語版テッド・リンジーの父親であるバート・リンジーを獲得したが、7チーム各12試合のリーグ初年度はワンダラーズが優勝し、ベルリンに7-3で勝利してスタンレーカップを制した。

オタワ・セネターズ_1910-11

初めてサラリーキャップが採用された1910-11シーズンは、選手たちの間で提示された給与に対する広範な不満から停滞しかけ、選手組合結成の噂が立ち上がった。シャムロックス、ヘイリーベリー、コバルトの3クラブがリーグから撤退し、元CHAのケベック・ブルドッグスが遅れて加わった。16試合で122ゴールのオタワがチャンピオンシップを獲得し、スタンレーカップをガルトとポートアーサーに勝利して保持した。

ケベック・ブルドッグス_1912–13

オフシーズンにオブライエンはホッケー事業から撤退したためレンフルーもリーグを脱退し、パトリック兄弟はバンクーバービクトリアに2つのアリーナを建設して太平洋岸ホッケー協会 (PCHA) を設立し、NHA選手の引き抜きを開始した。1911-12シーズンには4チームのみが参加した。ブルドッグスがリーグチャンピオンとなり、初のスタンレーカップを獲得し、モンクトンを破って防衛に成功した。

モントリオール・カナディアンズ_1912–13

NHAは1912-13シーズンにトロントの2チーム、トロントス(後のブルーシャツ)とトロント・テカムセスを受け入れ、リーグは6チームに増えた。ケベックがリーグを連覇し、シドニーを相手にスタンレーカップを防衛した。

トロント・ブルーシャツ_1913–14

1913-14シーズンはブルーシャツとカナディアンズが首位を分け合い、リーグ初のプレーオフが開催された。ブルーシャツは2試合のシリーズを制してトロントのチームとして初のスタンレーカップ優勝を果たした。プレーオフ後にPCHA王者ビクトリア・アリストクラッツは東部に渡り、トロントと5戦3勝制の初の「非公式」東西ワールドシリーズを行い、ブルーシャツが3連勝でシリーズを制した。シーズン終了時にPCHAとNHAとの間で合意が成立し、チャレンジカップシステムの時代は終わり、両リーグの優勝チームによる選手権シリーズの勝者にスタンレー・カップが授与されることになった。

1914–15シーズン、セネターズはワンダラーズとの2試合の合計得点によるプレーオフを制し、NHAのチャンピオンとなったが、スタンレー・カップを懸けたPCHAのバンクーバー・ミリオネアーズとの対戦で敗れた。

1915年までに第一次世界大戦の勃発による軍への志願とPCHAの引き抜きにより、NHAは十分な質の高い選手を欠いていた。当初NHAとPCHAは、対象選手をドラフトで指定されたチームの選手に限定するという合意で和解したが、1915–16シーズン前に、トロント・シャムロックスのオーナーであるエディ・リビングストンはドラフトから一部の選手を隠すためにブルドッグスとトレードを取り決め、またリーグの許可なくブルーシャツを買収した。リーグはシャムロックスのフランチャイズ売却を命じたが、PCHAが報復としてブルーシャツの選手を引き抜き、リビングストンはシャムロックスの選手をブルーシャツに移籍させて1チーム分の選手しか保有していなかったため売却できず、1915–16シーズンは5チームで行われ、毎週1チームが試合に出場せず、チームオーナーの収益を制限する状況となった。リーグチャンピオントロフィーのオブライエンカップはカナディアンズが獲得した。

1916年にリーグはリビングストンからシャムロックスのフランチャイズを剥奪してトロント第228大隊チームに与え、リーグは6チーム体制へと戻りシーズンの前半を戦ったが、シーズン後半途中の1917年2月に大隊が海外派遣を命じられ再び5チームに戻った。その後はブルーシャツもリーグからシーズン残り期間の活動停止処分を受け、選手は他の4チームで残りのシーズンを過ごし、カナディアンズがセネターズとのプレーオフを制してNHAとしての最終シーズンは終了したが、ブルーシャツの売却ができずにリーグが選手を保有し続けている状況をめぐって、リビングストンは度々訴訟を起こしていた。

最終的にリビングストンをリーグから排除するために、1917年11月の会議でNHAの運営を停止し、その後ナショナルホッケーリーグ (NHL) を結成してリビングストンなしでプロホッケーの事業を継続できるようにした。リビングストンを除くすべてのオーナーはNHLのフランチャイズを与えられ、NHAの契約もそのまま移転され、ブルーシャツの選手たちは財政難で不参加のブルドッグスに代わる新NHLフランチャイズのトロント・アリーナズに配属された。NHAは1918年9月20日に会合を開き、リビングストンの反対にもかかわらず運営を永久停止する決定を下した。

影響

NHAチャンピオントロフィーであるオブライエンカップ

1910年11月にNHAは、アメリカのプロ野球界のルールに基づくより実務的な新しい規約を策定し、標準的な選手契約、 1チームあたり5,000カナダドルの年俸上限(サラリーキャップ)、リーグから解雇される前に他チームに所属した選手をウェイブ(権利放棄)する資格、他チームに所属できない10人の選手をドラフト指名できるリザーブ条項、当時としては革新的なプロの審判の採用を定め、これらの規則は後に後継のナショナルホッケーリーグ(NHL)にも引き継がれた。新しい規約では、カナダだけでなくアメリカ合衆国でも設立される団体を加盟させることを目指す意味で法人名称から「カナダの」という文字を削除した。

1910-11シーズン、ファンを惹きつけオーナーの収益向上につなげるための施策として、試合時間の構成が変更された。1910年以前までに行われていた30分ハーフ2部制の試合を、20分間の「ピリオド」を3回行う方式へと改めた。これにより、ファンはアリーナ内でトイレ休憩や席を立って体をほぐしたり、売店に立ち寄ったりする機会をより多く持てるようになり、売店の売上も向上した。

第1シーズン終了後、さらに大きな変更を加えた。1911年までアイスホッケーは常に7人制で行われており、各チームはゴールテンダー、2人のディフェンスセンター、左右のウイングに、リンク内を広範囲に動き回る「ローバー」を加えた7人を配置していたが、試合のスピード感をより高めるために、リーグはリンク上の選手数を減らすことを決定し、ローバーのポジションを廃止して他のリーグに先駆けて6人制を採用した。また、選手のジャージに番号が付けられた最初のシーズンでもあり、当初は腕章で番号を表示していたが、やがてジャージの前面に直接縫い付けられるようになった。ホームチームによるエンド(陣地)の選択、同点時の延長戦実施、選手交代(ただし負傷の場合を除き、一度交代した選手は試合に戻れない)のルールもあわせて採用され、メジャー・ファウル(重大な反則)とマイナー・ファウル(軽微な反則)の区分が初めて導入された。

1913–14シーズン、フェイスオフの際にはパックを置く方法から落とす方式に変更され、初めてアシストが記録されるようになった。またゴールテンダーがパックを止めるために横たわった場合、マイナーペナルティと2ドルの罰金が科されることになった。シーズンを通じて活動する初の常任・有給審判員として6名が指名された。翌シーズンからは、反則に対する罰金制度を廃止し、代わりに退場時間(ペナルティタイム)を科す方式に変更した。

現在のNHL3チーム、モントリオール・カナディアンズ、トロント・メープルリーフス、オタワ・セネターズはNHAにルーツを持つ。カナディアンズはNHAでの歴史と記録を認めているが、メープルリーフスは(スタンレーカップ優勝も含む)ブルーシャツの歴史を自らのものと主張していない。3チームの中で最も歴史が古いセネターズは、NHA解散後もNHLに残留したが、1935年に活動を休止した。オタワは1992年に新たなフランチャイズの権利を得てリーグに復帰し、現在のオタワ・セネターズとして活動しており、カナディアン・タイヤ・センターにバナーを掲げ、1880年代に遡るオタワのクラブの歴史を称えている。

チーム

シーズン 参加チーム 優勝チーム
1910 コバルト・シルバー・キングスヘイリーベリー・コメッツレ・カナディアンズモントリオール・シャムロックスモントリオール・ワンダラーズオタワ・セネターズ†、レンフルー・クリマリー・キングス モントリオール・ワンダラーズ†
1910–11 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、レンフルー・クリマリー・キングス オタワ・セネターズ†
1911–12 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス ケベック・ブルドッグス†
1912–13 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、トロントストロント・テカムセス ケベック・ブルドッグス†
1913–14 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、トロントス、トロント・オンタリオス トロントス† (カナディアンズにプレーオフ勝利)
1914–15 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、トロントス、トロント・シャムロックス オタワ・セネターズ (ワンダラーズにプレーオフ勝利)
1915–16 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、トロントス モントリオール・カナディアンズ†
1916–17 モントリオール・カナディアンズ、モントリオール・ワンダラーズ、オタワ・セネターズ、ケベック・ブルドッグス、トロントス*、トロント第228大隊* モントリオール・カナディアンズ (オタワにプレーオフ勝利)

† スタンレーカップ優勝チーム(1910年はワンダラーズとセネターズが優勝)

*オンタリオ州ノースベイを拠点とする第228大隊は、当時キャンプ・ボーデンやトロントで訓練を行っていた。同チームはシーズンの前半終了後に撤退し、トロントのチームは前半戦終了後にリーグから活動停止処分を受けた。

その他著名な選手

ジョー・マローン

外部リンク

NHLの前身リーグ
リーグ
AHAC (1886–1898)
WPHL (1896–1910)
CAHL (1898–1905)
FAHL (1904–1909)
IPHL (1904–1907)
ECAHA (1906–1909)
TPHL (1906–1911)
OPHL (1908–1911)
CHA (1909–1910)
NHA (1909–1917)
PCHA (1912–1924)
NHL (1917–現在)
WCHL (1921–1926)
アイスホッケー ·


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