LK II
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派生型
- ライヒト・ツークマシーネ(軽砲牽引車/軽弾薬運搬車)
1918年5月22日、クルップ社は、「ライヒト・ツークマシーネ」(Leichte-Zugmaschiene, LZ)または「クラフト・プロッツェン」(Kraftprotzen)と呼ばれる、LK IIの車体と足回りを流用した、武装砲兵のための、野戦榴弾砲や弾薬車を牽引する軽装甲の原動車を、開発製造する案を提出した。これは、戦場で砲弾を運搬するために利用可能な馬の不足を懸念していた、OHLのマックス・バウアー中佐の指示によって行われた。
クルップ社のデザインには砲塔が付いておらず、MG08 7.92 mm重機関銃1挺が、車両後部の戦闘室の前面に装備された。装甲はLK IIほど厚くはなく、徹甲弾を防ぐことはできず、爆風や小口径弾や弾片から乗員を保護できるだけだった。戦闘室の後方は開放式の荷台になっていた。
この提案はLK IIの量産を優先して否決された。自動車輸送部長ヘルマン・マイヤー大佐は、LK IIプロジェクトへのバウアー中佐の支持を得るために妥協した。マイヤー大佐は、全てのLK IIの後部に頑丈な牽引フックを取り付けることを指示した。
「ツーク・マシーネ」はドイツ語で、「牽引車(トラクター)」の意味である。
- クライナー・シュトゥルムヴァグン(軽突撃戦車)
1918年6月13日、ドイツのエッセンにあるクルップ社の事務所で開かれた会議で、ヨーゼフ・フォルマーと自動車輸送部長ヘルマン・マイヤー大佐は、政府閣僚と陸軍将校ら特別招待聴衆の前で、会社の周りを運転させることによって、試作車のLK Iをデモンストレーションした。クルップ社は「クライナー・シュトゥルムヴァグン」(Kleiner Sturmwagen)と呼ばれる新しい戦車の計画を示す機会を得た。直訳すれば「小型突撃車両」だが、それはLK IIより大きかった。
「クライナー・シュトゥルムヴァグン」には武装の異なる2つのバージョンがあった。
1つはMG08 7.92 mm重機関銃で武装し、もう1つは52 mm戦車砲で武装していた。武装は車体前面に突撃砲のように装備された。
1918年7月23日、クルップ社とダイムラー社は、「クライナー・シュトゥルムヴァグン」の共同提案を正式に提出した。LK IIの生産決定により、提案は最終的に却下された。
クライナー・シュトゥルムヴァグンで開発された技術は、後に、ライヒトトラクトーアの開発に活かされた。
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