多古藩とは? わかりやすく解説

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多古藩

読み方:タコハン(takohan)

下総香取郡多古藩名


多古藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 01:11 UTC 版)

多古藩(たこはん)は、下総国香取郡多古(現在の千葉県香取郡多古町)を居所とした。徳川家康の関東入部後には保科正光が1万石で配置された。1635年以後、多古は大身旗本(交代寄合)久松松平家の所領となり、1713年に久松松平家が加増を受けて1万2000石の大名となって以後も引き続き居所とされた。以後、久松松平家(多古松平家[1])が廃藩置県まで存続した。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 『多古町史』では「近世の銚子・江戸往還」とする[2]
  3. ^ 街道の開通や多古宿開設について、史料上の裏付けが取れるのは文禄4年(1595年)の道中手形によってである[2]
  4. ^ 寛政重修諸家譜』の保科正光の項目では「多胡」が使われている[4]
  5. ^ 『総州山室譜伝記』では、当時病身で引退状態であった保科正直や、未出生の保科正之も攻め手に加わったと描かれている[7]
  6. ^ 『寛政譜』では慶長五年の関ケ原の合戦の叙述に続いて「十一月多胡を転じて信濃国高遠の旧領二万五千石を賜ひ」とある[4]
  7. ^ 『寛政譜』の雄久の項では「越中国野々市」であり[8]、『多古町史』でも「越中国新川郡野々市藩」とある[9]。名称については布市藩参照。
  8. ^ 『寛政重修諸家譜』の土方雄久・雄重の項目では「田子」が使われている[8]
  9. ^ 『寛政譜』の雄久の項には「下総国田子にをいて五千石を加増せられ、都て一万五千石を領す」とある[8]
  10. ^ 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1302「近世大名配置表」では「多古」に配置された大名として保科氏・久松松平氏を挙げるが、土方氏は記していない[11]
  11. ^ 『寛政譜』の雄重の項では、「下総国田子の領地をあらため、陸奥国菊多郡のうちにをいて一万石を賜はり、すべて二万石を領し、窪田に住す。其後越中国野々市の封地を能登国羽咋・鳳志・珠洲・能登四郡のうちにうつさる」とある[8]
  12. ^ 慶長5年(1605年)には林村での年貢収納に関して何らかの問題が生じたことが保科正光の書状からわかる[7]
  13. ^ 康俊の婿養子。
  14. ^ 『多古町史』でも「神代徳次郎逃去事件」[19]「神代徳次郎事件」[20]など複数の表現がある。
  15. ^ 神代は、中国人船主周藹亭と、長崎の遊女初紫の間に子供が生まれた際に、金銭の受け渡しを仲介して(一般の日本人は中国人から金品の受領ができないことになっていた)不正な処理を行い、また生まれた子供の身元を偽って届け、成長後は養子・就業先の斡旋をするなどした。長崎会所の乱脈運営が摘発された際(これは、長崎会所頭取・高島四郎太夫(秋帆)の失脚と連動する動きである)、神代の行いも明るみに出、「唐人屋敷門前で磔になるべきところ」減刑された[21]
  16. ^ 房総には、下総国香取郡の多古村、南中村、南並木村、南借当村、井野村の5か村が残った[19]
  17. ^ 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1302「近世大名配置表」では「1万2000石」のまま廃藩を迎えたと示されている。明治初年に太政官が調査し修史局が編纂した『藩制一覧』には「拝領高壱万弐千石」とある[22]
  18. ^ 書籍によっては、嘉永3年(1850年)に表高も1万石に減封されたと記すものもある。たとえば『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)の「多古藩」の項目では、1850年に1万石に減封とある。
  19. ^ 『多古町史』には「勝以から五代の間は変動はなかった」と記し、嘉永3年(1850年、第7代藩主松平勝行の時代)の領地替えの記述が続く[17]
  20. ^ 出典[29]に図版が収められており、動物の頭骨のような形状である。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>二、多古松平氏歴代”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 通史編 第三章>第二節 中世中期―鎌倉時代末期・南北朝期―/六、多古の起こりと千田庄の村郷”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  3. ^ 通史編 第三章>第二節 中世中期―鎌倉時代末期・南北朝期―/五、多古妙光寺の成立と一円法華”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  4. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.302
  5. ^ 通史編 第四章>序説”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  6. ^ a b 『房総における近世陣屋』, p. 21, PDF版 39/313.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 通史編 第四章>第一節 初期の多古支配者>一、保科氏”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  8. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第三百十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.715
  9. ^ a b c d 通史編 第四章>第一節 初期の多古支配者>二、野々市藩土方氏”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  10. ^ a b c 通史編 第四章>第一節 初期の多古支配者”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  11. ^ a b c d 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1302「近世大名配置表」
  12. ^ 土方雄久”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年2月25日閲覧。
  13. ^ 通史編 第四章>第一節 初期の多古支配者>三、佐倉藩諸氏”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  14. ^ 通史編 第四章>第二節 碁石まじりの支配”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  15. ^ a b 通史編 第四章>第二節 碁石まじりの支配>支配者一覧”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  16. ^ 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>三、所領の変遷と石高”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  18. ^ a b 通史編 第四章>第六節 宗教と文化>四、教育・学問”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  19. ^ a b c d e f g h i 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>四、藩財政”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  20. ^ a b 地域史編 旧多古町>多古(たこ)>神代徳次郎事件余話”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  21. ^ a b c d e f g h 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>七、神代徳次郎逃去事件と陸奥への村替え”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  22. ^ a b c d 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>九、明治維新の多古藩”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  23. ^ a b 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>八、真忠組騒動への出兵”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  24. ^ a b c d 地域史編 旧多古町/多古町の誕生”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  25. ^ a b 通史編 第四章>第三節 久松松平氏と多古藩>五、多古陣屋”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  26. ^ 通史編 第四章>第五節 交通と商工業>二、多古宿の形成”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  27. ^ a b 地域史編 旧多古町>多古(たこ)>村のすがた”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  28. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第五十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.279、『新訂寛政重修諸家譜1巻』p.285。
  29. ^ a b 史跡を巡る【多古地区】”. 歴史のさと多古を歩く. 2022年2月25日閲覧。
  30. ^ 『房総における近世陣屋』, p. 20, PDF版 38/313.
  31. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第五十四、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.285


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