オットー1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)とは? わかりやすく解説

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オットー1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 00:39 UTC 版)

オットー1世
Otto I.
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
オットー1世(玉座の人物)
在位 1235年 - 1252年

出生 1204年
死去 1252年6月9日
神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、リューネブルク
配偶者 マティルデ・フォン・ブランデンブルク
子女 一覧参照
家名 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
父親 リューネブルク公ヴィルヘルム
母親 ヘレネ・フォン・デーネマルク
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オットー1世(Otto I., 1204年 - 1252年6月9日)は、神聖ローマ帝国領邦君主の1人で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク(在位:1235年 - 1252年)。ヴェルフ家出身で、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の祖。ハインリヒ獅子公の末子のリューネブルク公ヴィルヘルムデンマーク王ヴァルデマー1世の娘ヘレネの一人息子。伯父の神聖ローマ皇帝オットー4世との区別のため、幼童公(das Kind)とも呼ばれる。

生涯

1213年に父が没し、その領土を相続した。1218年1227年に2人の伯父オットー4世と元ライン宮中伯ハインリヒ5世が没したので彼らの領土も継承したが、北ドイツの所領を巡って母方の伯父に当たるデンマーク王ヴァルデマー2世と衝突したこともある。1235年、マインツで帝国議会が開かれ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世からブラウンシュヴァイク=リューネブルク公に叙爵された。

1252年、リューネブルクで没した。遺領は2人の息子アルブレヒト1世ヨハンが共同で相続したが、後に領土を分割、アルブレヒト1世はヴォルフェンビュッテル侯領を、ヨハンはリューネブルク侯領を統治した。後にヨハンの子孫は断絶、アルブレヒト1世の子孫はリューネブルク侯領も継承、18世紀にはリューネブルク系のハノーファー選帝侯ジョージ1世イギリス王位も継承、ハノーヴァー朝を開いた。ヴォルフェンビュッテル系も19世紀ブラウンシュヴァイク公国を成立させた。

子女

1228年ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト2世の娘マティルデと結婚、10人の子を儲けた。

  1. マティルデ(? - 1295年/1296年) - アンハルト=アッシャースレーベン侯ハインリヒ2世と結婚
  2. ヘレネ(1231年 - 1273年) - テューリンゲン方伯ヘルマン2世と結婚、ザクセンアルブレヒト1世と再婚。
  3. オットー(? - 1247年)
  4. エリーザベト(1230年頃 - 1266年) - ホラント伯、ドイツ対立王ウィレム2世と結婚
  5. アルブレヒト1世(1236年 - 1279年) - ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公、ヴォルフェンビュッテル侯
  6. ヨハン(1242年 - 1277年) - ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公、リューネブルク侯
  7. オットー(? - 1279年) - ヒルデスハイム司教
  8. コンラート(? - 1300年) - フェルデン司教
  9. アーデルハイト(? - 1274年) - ヘッセン方伯ハインリヒ1世と結婚
  10. アグネス(? - 1302年) - リューゲン侯ヴィツラフ2世と結婚
爵位・家督
先代
新設
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
1235年 - 1252年
次代
アルブレヒト1世ヨハン



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