四重人格
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『四重人格』(よんじゅうじんかく、Quadrophenia)は、イギリスのロックバンド、ザ・フーの6作目にあたるスタジオ・アルバム。1973年10月にリリースされた。全英、全米共に最高位2位[2][3]。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、267位にランクイン[4]。
注釈
- ^ 彼の単独作がなかった1stアルバム『マイ・ジェネレーション』以来の事だった。
- ^ タウンゼントのデモに独立した曲として含まれたが、アルバムでは「ドクター・ジミー」の一部になっている。
- ^ ジミーの4つの人格を”A tough guy", "A romantic", "A bloody lunatic", "A beggar, a hypocrite"としている。これらはそれぞれ「ヘルプレス・ダンサー」(ダルトリーのテーマ)、「イズ・イット・ミー」(エントウィッスルのテーマ)、「ベル・ボーイ」(ムーンのテーマ)、「愛の支配」(タウンゼントのテーマ)に対応する。
- ^ 本作は、ジミーが小舟を盗んで海にこぎ出して、沖合いの岩にたどり着いて"Love, reign o'er me!"の叫びをあげる場面で終わる。彼の生死は、彼自身の決断に委ねられている。
- ^ アルバムのクレジットには「チャド」と記載されている。
- ^ アルバムタイトル曲の「不死身のハードロック」は、ムーンがリンゴ・スターやデヴィッド・エセックスと出演したイギリス映画『マイウェイ・マイラヴ』(1973年)の主題歌として、ビリー・フューリーによって歌われたあと、1974年のコンピレーションアルバム『オッズ&ソッズ』で日の目を見た。
- ^ 金管楽器のパートはエントウィッスルの編曲だった。タウンゼントは自伝で、エントウィッスルが20以上もの様々な金管楽器を全て自分で演奏し、編曲を楽譜に書いて細心の注意を払って録音に臨んだ結果、多彩な金管楽器はシンセサイザーやストリングスと完璧に調和したと記している。
- ^ エントウィッスルは本作を原作にしたイギリス映画『さらば青春の光』(1979年)の音楽監督を務め、サウンドトラック盤に収録されることになった曲にリミックスを施し、幾つかの曲のベース・ギター・パートを再録音をした。
- ^ タウンゼントは48時間不眠不休でテープを作って、リハーサル会場のシェパートン・スタジオに持って行ったが、待ち疲れたダルトリーと口論になり、上記の殴り合いに至った。
- ^ 彼等は既に、前作『フーズ・ネクスト』(1971年)に収録された「ババ・オライリィ」と「無法の世界」のライブ演奏で、テープの再生音に合わせた演奏を経験していた。
- ^ そもそもテープがツアー開始直前に完成した上に、タウンゼントとダルトリーの殴り合いもあって、リハーサルが不十分だったことも一因だった。
- ^ 1966年から引退する2016年までの長きにわたりバンドやタウンゼントのツアーで働いた。
- ^ 幕が下りてコンサートは中断され、聴衆に何の説明も詫びもないまま約10分後に再開。『四重人格』ではなくステージの定番曲が披露され、最後にタウンゼントが再びギターを破壊し、ムーンがドラム・セットを蹴散らして終わった。
- ^ 幸いコンサートの終了まで2曲を残すのみだったので、何とか切り抜けた。この一部始終は、ツアーのプロモーターだったビル・グラハムの為に撮影されていた白黒の記録映像に収録された。
- ^ イギリス・ツアー初日の1973年10月28日のセット・リストから「ダーティー・ジョブス」「イズ・イット・イン・マイ・ヘッド」「アイヴ・ハッド・イナフ」の3曲が除かれ、二日目以後は「ぼくは海」「リアル・ミー」「少年とゴッドファーザー」「ぼくは一人」「ヘルプレス・ダンサー」「5時15分」「海と砂」「溺れるぼく」「ベル・ボーイ」「ドクター・ジミー」「ザ・ロック」「愛の支配」の12曲が披露された。11月20日からのアメリカ・カナダ・ツアーでは「ザ・ロック」を除いた11曲、12月3日からは「ヘルプレス・ダンサー」を除いた10曲、1974年2月のフランス・ツアーでは「ぼくは海」を除いた9曲が披露された。
- ^ 「ベル・ボーイ」の途中でムーンがダルトリーからマイクを受け取ってテープの再生音だけに合わせてリード・ボーカルを取ったり、「ヘルプレス・ダンサー」でエントウィッスルが金管楽器を演奏したり、といった新機軸は好評だった。
- ^ 「溺れるぼく」「ベル・ボーイ」「ドクター・ジミー」の3曲に、ニューヨーク公演では「少年とゴッドファーザー」が加えられた。5月18日にチャールトン・アスレティック・フットボール・クラブで行なわれたサウス・ロンドン公演での「ベル・ボーイ」の演奏の映像は、後述するQuadrophenia and Moreツアー(2012年)で用いられた。
- ^ 「プリンシズ・トラスト」の後は、実弟のサイモン・タウンゼントがその任に着いた。
出典
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、331頁。
- ^ a b c Quadrophenia - The Who : Awards : AllMusic
- ^ a b ChartArchive - The Who - Quadrophenia
- ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Who, 'Quadrophenia' | Rolling Stone
- ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)101頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、264頁。
- ^ “Discogs”. 2023年9月20日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年9月20日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年9月20日閲覧。
- ^ “thewho.com”. 2023年9月21日閲覧。
- ^ ピート・タウンゼント、『四重人格』はザ・フーの最後の傑作だったと語る (2011/11/13)| 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト:2015年9月2日閲覧。
- ^ McMichael & Lyons (2004), pp. 176–188.
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、240-241頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、261頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、260頁。
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、253頁。
- ^ Townshend (2012), p. 250.
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、262-263頁。
- ^ 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、254-255頁。
- ^ a b McMichael & Lyons (2004), pp. 201–218.
- ^ Townshend (2012), p. 252.
- ^ a b レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)53頁。
- ^ エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、266頁。
- ^ McMichael & Lyons (2004), pp. 203–204.
- ^ Neill & Kent (2007), p. 336.
- ^ Townshend (2012), p. 256.
- ^ McMichael & Lyons (2004), pp. 218–222.
- ^ Townshend (2012), p. 258.
- ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)56-57頁。
- ^ The Who: Quadrophenia at the Royal Albert Hall, review - Telegraph:2015年9月2日閲覧。
- ^ ザ・フーの映像商品『四重人格 ライブ&モア』、日本上陸 | The Who | BARKS音楽ニュース:2015年9月2日閲覧。
- ^ Who, The - Quadrophenia at Discogs:2015年9月2日閲覧。
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