ブライアン・フェリーとは? わかりやすく解説

ブライアン・フェリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 13:46 UTC 版)

ブライアン・フェリーBryan FerryCBE1945年9月26日 - )は、イングランドロックミュージシャンシンガー、作曲家。ロキシー・ミュージックやソロ活動で有名である。


注釈

  1. ^ 一歳上の姉アンは、彼よりも遥かに上手だった。ある日、彼が家で練習していると、帰宅した彼女が部屋に入って来て彼の演奏にけちをつけたあげく、ベートーヴェンの『月光』を弾き始めたので、彼は憤慨してピアノを習うのを止めてしまったという。
  2. ^ R&Bソウル・ミュージックといったブラック・ミュージックの影響を強く受けて、ボビー・ブランドフレディ・キングの楽曲を演奏した。ウィルバート・ハリスンの「レッツ・スティック・トゥゲザー」もレパートリーの一つだった。
  3. ^ ザ・スミスデビュー・アルバムのプロデューサーとして知られる。
  4. ^ マッケイの所持品だったが、イーノが譲り受けた。
  5. ^ 大学時代に知り合った。
  6. ^ オリジナル・メンバーは、フェリー以外は中流階級の出身である。
  7. ^ デビュー・アルバムとセカンド・アルバムの全収録曲、デビュー・シングル曲「ヴァージニア・プレイン」とセカンド・シングル曲「パジャマラマ」は彼の単独作だった。グラム・ロック路線を変更したサード・アルバム『ストランデッド』(1973年)から、数曲をアンディ・マッケイ(オーボエ、サクソフォーン)やフィル・マンザネラ(ギター)など他のメンバーと共作した。
  8. ^ メンバーで一番の人気者になったブライアン・イーノ(テープ、シンセサイザー)が自分の存在を脅かしていると感じて、もうイーノとは仕事をしないとマネージメントに宣言。マネージメントはやむを得ず1973年6月21日、イーノに契約解除を通知した。
  9. ^ 本アルバムで発表された後、1976年までのロキシー・ミュージックのコンサートでも演奏された。
  10. ^ ロンドン公演には55人のミュージシャンが参加した。2020年、ライヴCD"Live At The Royal Albert Hall 1974"が発表された。
  11. ^ 2月初旬から同年7月末まで行なわれた。
  12. ^ 1977年6月5日と9日中野サンプラザ、6月6日大阪厚生年金会館。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、ウェットン(B, Vo)、クリス・スペディング(G)、フィル・マンザネラ(G)、アン・オデール(Key, Vo)、ポール・トンプソン(Dr)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。6月9日には中野サンプラザ公演に加えて、渋谷のNHK放送センターの101スタジオで総合テレビジョンの『ヤング・ミュージック・ショー』の公開録画を行なった。放送日は同年9月10日。
  13. ^ ガールフレンドのジェリー・ホールが1977年の末にミック・ジャガーの下に去ったので、傷心の状態で寒さが厳しいスイスのモンタレーのスタジオに籠って制作した。
  14. ^ 歌詞にアルバム・タイトルが登場する。
  15. ^ ロキシー・ミュージックの1982年から1983年にかけてのツアーで取り上げられた。4曲入りEPザ・ハイ・ロード』(1983年)とアルバム『ハート・スティル・ビーティング』(1990年)に収録。
  16. ^ 「時の証明」と共に、フェリーの髭面が印象的なミュージック・ビデオが制作された。
  17. ^ 後にハウ・トゥ・デストロイ・エンジェルスによって『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)の主題歌として取り上げられた。
  18. ^ "sonic awareness"、"sonic ambience"、"sonic emphasis"、"swoop treatment"、"sonic distress"、"sonic"などと記載された。
  19. ^ バーニー・ト―ピンマーティン・ペイジの共作曲。
  20. ^ 未完成に終わった『ホロスコープ』のレコーディングには、6年の歳月が費やされ112人ものミュージシャンが参加した。
  21. ^ フェリーの他、ブライアン・イーノフィル・マンザネラアンディ・マッケイグラハム・シンプソンポール・トンプソン、エディ・ジョブソン、ジョン・ガスタフソン
  22. ^ イーノはテープの操作とシンセサイザーの演奏を担当した。
  23. ^ 「イン・エヴリー・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」の前半部では、マッケイがオルガンを弾き、フェリーはマイク・スタンドの前に立って歌った。
  24. ^ 2001年に久々に行なわれたロキシー・ミュージックのコンサートの幕を自分のキーボード演奏で始まる「リ・メイク/リ・モデル」(デビュー・アルバム収録)で開けたのは、まさにデビュー当時の再現を意図した演出であろう。
  25. ^ イーノに代わってエディ・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)が加入すると、コンサートではジョブソンにキーボード演奏を任せて、メンバーが一曲目の演奏が始めた後におもむろに登場すようになった。ステージできらびやかな衣装を着てテープやシンセサイザーを操作するイーノに人気を奪われてしまった苦い経験からか、ステージ中央のマイク・スタンドの前に仁王立ちになって、あたかもバック・バンドを率いているかのような印象を与えるようになった。
  26. ^ ロキシー・ミュージックのアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』(1980年)と『アヴァロン』(1982年)の収録曲毎のクレジットによると、彼は殆んど全ての曲のキーボードを演奏した。
  27. ^ ロキシー・ミュージックのアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』(1980年)のタイトル曲でギターを単独で担当し、『アヴァロン』(1982年)の「インディア」ではギター・シンセサイザーを演奏した。イーノ在籍時のロキシー・ミュージックのステージ映像で、「イン・エヴリー・ドリーム・ホーム・ア・ハートエイク」の後半部分でリズム・ギターを弾く場面が存在する。
  28. ^ セカンド・アルバム『フォー・ユア・プレジャー』(1973年)収録。
  29. ^ 『サイレン』(1975年)収録。
  30. ^ ジミー・リード作。アルバム『レッツ・スティック・トゥゲザー』(1975年)収録。
  31. ^ 『フランティック』(2002年)収録。
  32. ^ ロキシー・ミュージックのアルバム『サイレン』(1975年)に収録された原曲には、ハーモニカ演奏はない。
  33. ^ 『レッツ・スティック・トゥゲザー』ではメル・コリンズのサックスと聴き比べることもできる。
  34. ^ 当時の妻ルーシーと、息子のアイザック、タラ、メルリン。新年の休暇をザンジバルで過ごす為にナイロビの空港に向かっていた。

出典

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