32年テーゼ
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32年テーゼ(32ねんテーゼ)は、1932年5月にコミンテルンで決定された『日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ』の通称。「赤旗」1932年7月10日特別号に発表された。日本からは片山潜、野坂参三、山本懸蔵らが参加して討議された。前年に草案として提示されたいわゆる「31年政治テーゼ草案」を作成したゲオルギー・サファロフが失脚したため、あらたなテーゼが必要とされてつくられたものである。発表以降、1936年2月に岡野(野坂参三)・田中(山本懸蔵)という変名で「日本の共産主義者への手紙」がモスクワにおいて発表されるまで日本共産党の綱領的文書として扱われた。
注釈
- ^ 谷沢永一「悪魔の思想」クレスト社、1996年。前述のとおり32年テーゼを絶対視したのは日本共産党及び「講座派」であって、対立する「労農派」などは32年テーゼを批判している。谷沢が「悪魔の思想」で批判したうちの大内兵衛と向坂逸郎は労農派に属する。
出典
- ^ 伊藤晃「現代マルクスレーニン主義事典」上巻、社会思想社、1980(昭和55)年
- ^ 谷沢永一「悪魔の思想」クレスト社、1996年、40-54頁
- 1 32年テーゼとは
- 2 32年テーゼの概要
- 3 関連項目
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