鯨墓
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鯨墓(くじらばか、げいぼ)とは、受動的な捕鯨や捕鯨を生業にしている地域において、鯨を供養した墓のことである。
- ^ “長門市ホームページはこちら”. 長門市ホームページ. 2023年11月30日閲覧。
- ^ “asahi.com:金子みすゞと上山雅輔 - トラベル「愛の旅人」”. www.asahi.com. 2023年11月30日閲覧。
- ^ “クジラを祀るベトナムの「鯨寺」”. VIETJO. (2022年1月23日) 2022年1月28日閲覧。
- ^ “クジラ信仰とは”. VOV日本語放送. (2017年4月16日) 2022年1月28日閲覧。
- ^ “Lễ hội Nghinh Ông huyện Cần Giờ Thành phố Hồ Chí Minh”. Sở Văn hóa và Thể thao Thành phố Hồ Chí Minh(ホーチミン市スポーツ文化局) (2018年11月7日). 2022年1月28日閲覧。
鯨墓
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詩人の金子みすゞは山口県長門市仙崎で生まれた。仙崎は鯨の捕獲で成り立っていた漁師の村であり、ここにも鯨墓が存在する。金子みすゞは鯨法会をする地域の慣わしに感銘し『鯨墓』を書いた。この『鯨墓』が慈しみを主題とする金子みすゞの詩集の原点とも言われる。 京都府与謝郡伊根町青島の蛭子神社には3つの鯨墓がある。この墓の謂れには、母鯨を誤って捕獲してしまい子鯨まで死なせてしまったという漁民の後悔から建てられたという話が伝承されている。なお、この時の親子鯨の肉には一切手を付けなかったと伝えられている。 大分県臼杵市にあり市内には「大浜」「佐志生」「中津浦」「大泊」に鯨の墓が見られる。その中で大泊では1870年(明治3年)港湾工事の莫大な支出のため、財政が逼迫をしていた。その時、流れ鯨が現れ捕獲し、余すところ無く高値で売れたため、借金を返済することができた。それに感謝し供養した墓といわれる。 山口県長門市通の向岸寺に鯨墓がある。
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