高砂松子
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高砂 松子(たかさご まつこ、本名・平松壽子[1]、旧姓:稲垣[2]、1900年(明治33年)1月17日[2] - 1961年(昭和36年)10月8日[3])は元宝塚少女歌劇団花組男役の人物である。鳥取県[2]東伯郡倉吉町(現・倉吉市)[4]。出身。妹は神代錦である。初代春日花子、沖津浪子と共に『宝塚の三幅對』と呼ばれた[5]。
芸名は小倉百人一首の第34番:藤原興風の『誰をかも 知る人に為む 高砂の 松も昔の 友なら無くに (たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに)』から命名された。
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