須磨利之とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 須磨利之の意味・解説 

須磨利之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/03 18:09 UTC 版)

須磨 利之(すま としゆき、1920年 - 1992年)は、1951年に日本初のSM雑誌、奇譚クラブを発行した男性。関西でも一、二を争う印刷会社の一族出身で、父が早くに病死したため、母親は伯父(父の兄)の庇護の下、広壮な離れ屋敷で須磨を育てていたが、役者買いをした事が発覚し、激怒した伯父が母親を蔵の中に縛り付けてしまった。これを偶然目撃した小学三年生の須磨少年は、あられもない母親の姿に衝撃を受け、この時の情景のインパクトが強かったためか、旧制中学卒業後、日本画の学校に通い、「あの時の母親の姿を絵にしたい!」と思っていた。若き日の須磨は、責め絵で有名な伊藤晴雨の画集で、緊縛のデッサンを勉強し、実践とアルバイトを兼ねて飛田遊郭の女郎屋で「縛られ女郎ショー」というSMの実演を行っていた。これが行列のできる人気だったので、雑誌を発行しようと考えたのである。こうして須磨発行、第1号の雑誌『奇譚クラブ』を発刊した。この雑誌には、団鬼六が『花と蛇』を寄稿した。その後、須磨は『裏窓』(後の、サスペンスマガジン)を発行する。この雑誌は、最初はミステリー物だったが、しだいにSM路線に変更していった。発行第3号の雑誌は、濡木痴夢男と「虻プロ」を立ち上げて創刊した『あぶめんと』である。




「須磨利之」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「須磨利之」の関連用語

須磨利之のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



須磨利之のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの須磨利之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS