野球の背番号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 02:36 UTC 版)
本項では野球の背番号(やきゅうのせばんごう)について解説する。
注釈
- ^ 他にもボストン・レッドソックスとサンフランシスコ・ジャイアンツはそれぞれ、ホーム・ビジターの胸番号、ホームの背ネームを入れていない。
- ^ 一例として、大阪タイガースはいろは順に背番号を振り分けられたが、その並びで若林忠志は4になってしまうので18を着用した。若林はこの背番号でエースとして活躍し、日本に「エースナンバー=18」を根付かせた。ちなみに、若林は日系アメリカ人だった(後に帰化)ので一応「外国人選手」ではある。
- ^ 2023年現在では大関友久(ソフトバンク)、ブライト健太(中日)、澤井廉(ヤクルト)が該当。過去の例としては下柳剛(阪神時代)、木田優夫(ヤクルト、日本ハム時代)、萩原淳(オリックス、ヤクルト時代)など。
- ^ クロマティ以降に日本人選手で49を着用したのは柏田貴史、小関竜也、石川慎吾の3人。柏田と小関は米球界経験者。石川は日本ハムから移籍した際そのまま日本ハム時代の背番号を引き継いだもの。
- ^ NPBで最後に30番を着用した監督は、阪急ブレーブス - オリックス・ブレーブスでの上田利治(1974年 - 1978年・1981年 - 1990年)である(セ・リーグでは中日ドラゴンズの中利夫〈1978年 - 1980年〉が最後)。
- ^ 第2次監督時代の2000-2001年シーズン
- ^ 第2次監督時代の1993-1999年シーズン
出典
- ^ a b c 平川陽一編『今さら誰にも聞けない500の常識』廣済堂文庫 p.218 2003年
- ^ a b 背番号伝承力『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 5頁。
- ^ “メジャー史上初の新記録「0~99」全背番号使用!ヤンキース・ヤフレ「89」番出場で達成”. スポーツニッポン (2020年9月2日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ ライオンズ・クラシック 稲尾和久 生誕75周年 永久欠番メモリアルゲーム ~背番号「24」の記憶~ 埼玉西武ライオンズ、2012年5月1日(2016年5月21日閲覧)
- ^ 8月6日に祈る永遠の平和…ピースナイターで広島全員が背番号「86」(2/3) - サンケイスポーツ 2015年8月7日
- ^ 番長三浦「ずっと横浜」自己ワースト10失点も生きざま詰まった119球 - スポーツニッポン 2016年9月30日
- ^ 井口引退試合で選手全員が背番号「6」着用 - 日刊スポーツ 2016年9月24日
- ^ “【DeNA】引退・番長の背番号18は「横浜ナンバー」の準永久欠番に”. スポーツ報知. (2016年9月20日). オリジナルの2016年9月22日時点におけるアーカイブ。 2016年10月26日閲覧。
- ^ 背番号「42」は日本プロ野球でプレーする外国人選手に人気。2015年もブランコやガラテら7選手が着用 Yahoo!ニュース 2015年3月22日
- ^ プロ野球における背番号42の名選手たち SPAIA 2017年12月29日
- ^ “バース氏「44」タテジマで開幕戦始球式 岡田監督との再会に「ハッピーな時間でした」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年3月31日) 2023年3月31日閲覧。
- ^ プロ野球における背番号44の名選手たち SPAIA 2017年12月28日
- ^ “【背番号物語2019】「#44」1980年代に助っ人三冠王が大爆発”. 週刊ベースボールONLINE (2019年2月20日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ プロ野球における背番号43の名選手たち SPAIA 2017年12月22日
- ^ プロ野球における背番号49の名選手たち SPAIA 2017年12月26日
- ^ 巨人・ゲレーロ、背番号44に変更へ 原監督「メールや手紙で…」 ショウアップナイター BASEBALL KING 2018年11月22日
[続きの解説]
「野球の背番号」の続きの解説一覧
- 1 野球の背番号とは
- 2 野球の背番号の概要
- 3 概要
- 4 脚注
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