のぐち‐したがう〔‐したがふ〕【野口遵】
野口遵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 03:24 UTC 版)
野口 遵(のぐち したがう、したごう[1]、通称じゅん[2]、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。
- ^ 『日窒コンツェルン』 - コトバンク
- ^ 日窒コンツェルン創始者の野口遵さんの名前の読み方を知りたい レファレンス協同データベース
- ^ 『挫折した理想国 - 満州国興亡の真相 - 』(古海忠之・片倉衷、現代ブック社、1967年) P218
- ^ 『野口遵翁追懐録』(新日本窒素肥料内 野口遵翁追懐録編纂会、1952年9月10日)
- ^ a b 日本窒素肥料 1940.
- ^ 中外商業新報 1941.
- ^ 我が国化学工業事業の父、死去(昭和19年1月16日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p660 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
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