草加宿
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草加宿(そうかしゅく)は、日光街道および奥州街道の2番目の宿駅(宿場町)である。
- ^ 田中(1993)、67頁
- ^ 田中(1993)、69頁
- ^ 前田(1936)、685頁。
- ^ 伝馬の「継ぎ送り」とは、「江戸幕府の公用で旅をする人たちのために、その人たちの荷物を宿場から宿場へと、次から次へリレー方式で受け継いで送ることを言った。このため各宿では、荷物を運ぶための人足と馬を常備することが義務づけられていた。東海道の誘い 宿場について 人馬の「継ぎ送り」とはどういうことですか?国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所(2016年5月4日配信)(2017年5月6日閲覧)
- ^ 草加宿は、人足25人、駅馬25頭の伝馬人足の設置および継立が義務づけられていた。(草加市史編さん委員会、『草加市史』通史編上、草加市、昭和61年、草加市史編さん委員会、『草加市史』資料編Ⅱ、草加市、昭和61年)
- ^ a b 草加市史編さん委員会、『草加市史』通史編上、草加市、昭和61年
- ^ a b 草加市史編さん委員会、『草加市史』資料編Ⅱ、草加市、昭和61年
- ^ 草加宿の複数の村とは南草加、北草加、吉笹原、原島、立野、谷古宇、宿篠葉、与左衛門新田、弥惣右衛門新田の9か村を指すが、2つの新田(与左衛門新田、弥惣右衛門新田)はこのころなく、実際には7か村であったという説が近年提出されている。草加市『市制施行50周年記念誌 そうか事典』平成20年草加市HP
- ^ 正徳4年(1714年)『草加町組五人組一札』に拠る。
- ^ 天保14年『日光道中宿村大概帳』に拠る。
- ^ 『草加市史』通史編上P442~・資料編ⅡP191・昭和61年7月5日号・昭和61年7月20日号
- ^ 記録によると、天保3年(1832)「宿方身元慥成者共」にみられる。「取究申議定之事」(天保3年)『島崎家文書』に拠る。
- ^ 田中(1993)、72頁。
- ^ 中村・松浦(2011)、33頁。
- ^ a b 中村・松浦(2011)、42頁。
- ^ 草加松原が国指定名勝になりました、草加市、(最終更新日:2014年3月18日)、(2016年5月3日閲覧)。
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