船越義珍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 18:47 UTC 版)
船越 義珍(ふなこし ぎちん、1868年12月23日〈明治元年11月10日〉 - 1957年〈昭和32年〉4月26日)は、沖縄県出身の空手家。初めて空手(当時は唐手)を本土に紹介した空手の創始者であり、松濤館流の事実上の開祖。本土での空手普及に功績があった。
- ^ 船越義珍の旧姓は、一般に空手関連書では富名腰と記し、また本人もそう記しているが、本来は冨(富の異体字)と書いて冨名腰と記すのが正しい。『氏集』参照。
- ^ 『東京大学空手部六十年史』収録の寄稿文、藤原稜三「近代空手道の先駆者 三木二三郎と『拳法概説』」(178頁)を参照。
- ^ 「恩師安里安恒先生の逸話」を参照。
- ^ 船越が空手師範をつとめた慶應義塾体育会空手部発行の『創立十周年記念 空手道集成第一巻』(1936年)23頁に、「安里安恒、糸洲安恒の両門に学ぶこと四十年」との紹介文がある。それゆえ、船越が安里、糸洲に空手を学びはじめたのは、1896年(明治29年)、28歳頃からだったようである。
- ^ 摩文仁賢和『攻防拳法空手道入門』(榕樹書林、2006年)213頁参照。
- ^ 長嶺将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』111頁を参照。
- ^ 儀間真謹、藤原稜三『対談・近代空手道の歴史を語る』86頁を参照。
- ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』149頁参照。
- ^ 講道館での演武を参観した富木謙治は、後に「単独演武ですから余り強い印象は受けませんでした」と回想している。『空手道』27頁参照。ただし儀間はこの時約束組手も演じたと、のちに述べている。
- ^ 『空手道』収録の寄稿文、大塚博紀「明正塾前後」の55頁、ならびに小西康裕「琉球唐手術の先達者」の58、59頁を参照。加来耕三『武闘伝』の78、79頁を参照。
- ^ 『空手道』2002年1月号
- ^ 『JKFan』2006年8月号、33頁参照。
- ^ 『空手道 専門家に贈る』楽天会、1970年)59頁
- 船越義珍のページへのリンク