臨津江の戦いとは? わかりやすく解説

臨津江の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 21:26 UTC 版)

臨津江の戦い(りんしんこうのたたかい、朝鮮読みで臨津江はイムジンガン)は、文禄元年5月18日1592年6月27日)、臨津江で戦われた文禄の役初期の戦闘の一つである。反攻を企てた朝鮮軍の襲撃を、日本軍の加藤清正がほぼ単独で撃退した。


  1. ^ a b ただし李陽元の5千は上流で遊撃戦をしていて、この戦闘に参加していない。部隊の一部は別の戦闘で勝利していたが、結局は退却することになった。
  2. ^ a b 朝鮮軍全ての総司令官を意味する。
  3. ^ もとは右議政。
  4. ^ なおこの中には白衣従軍を命じられていた11名の元高官も含まれていた。
  5. ^ 臨津江上流にある支流漢灘川の町。
  6. ^ 定説では『西征日記』の記録者。
  7. ^ 勅令、軍令など伝達を担当する武官。


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