胡震亨
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胡 震亨(こ しんきょう、1569年(隆慶3年) - 1645年(清順治2年、明弘光元年/隆武元年))は、明代の文人。元の字は君鬯(くんちょう)、字は孝轅(こうえん)、号は遯叟(とんそう)、また赤城山人を号する。嘉興府海塩県の人。
- ^ 『好古堂書目序』に云う、「予が家 世〻(よよ)塾師たり、誠斎府君より仰厓府君に迄(いた)るまで凡そ四世、隠顕 同じからずと雖も、而(しこう)して其の雅好 均しく張華に類(たぐ)いす。故を以て蔵書 幾(ほとん)ど万巻に至り、亦た盛(ふ)えりと云う。(“予家世為塾師,自誠齋府君迄仰厓府君凡四世,雖隠顯不同,而其雅好均類於張華,以故藏書幾至萬卷,亦云盛矣。”)」
- ^ 『分甘余話』に云う、「海塩の胡震亨 孝轅 唐詩統籤(とうしとうせん)を輯(あつ)む(“海鹽胡震亨孝轅輯唐詩統籤。”)」。盛楓の『嘉禾徴献録』巻24、「胡彭述 少(わか)くして孤、母に事(つか)えて孝、書を蔵することを好み、『好古堂書目』有り。子の震亨 字は君鬯、一に字は孝轅、晩(おく)れて号して遯叟。才識通敏、書に於て読まざる所無し。〔略〕唐人の詩集の天下を衣被(いひ)する能(あた)わざるを病(や)み、乃ち悉(ことごと)く捜録し、編みて十籤(じっせん)と為し、『唐音統籤(とうおんとうせん)』と曰(い)い、世に行わる。又た著は『海塩図経』『靖康資鑑録』及び『赤城山人集』。子の夏客も亦た英敏にして学を好む(“胡彭述少孤,事母孝,好藏書,有《好古堂書目》。子震亨字君鬯,一字孝轅,晩號遯叟。才識通敏,於書無所不讀。(略)病唐人詩集不能衣被天下,乃悉搜録,編為十籤,曰《唐音統籤》,行於世。又著《海鹽圖經》《靖康資鑑録》及《赤城山人集》。子夏客亦英敏好學。”)」
- ^ 『居易録』に云う、「万暦間の学士、多く僞書を撰して以て世を欺く。今の類書中の刻する所の唐の韓鄂『歳華紀路』は、乃ち海塩の胡震亨 孝轅の造る所(“萬暦間學士,多撰僞書以欺世。今類書中所刻唐韓鄂《歳華紀路》,乃海鹽胡震亨孝轅所造。”)」
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